東京ぶらり散歩  参 
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番外編 1 2 3
 
徳川家康が江戸に幕府を開いて四百年の今年、東京では「江戸開府400年」を記念した様々なイベントが行われている。
東京ぶらり散歩では今回、番外編として江戸・東京のなかで息づいた“津軽”を駆け足探訪で紹介します
                                   


[江戸の中の津軽]

[津梁院]
 寛永寺の境内を抜け、言問通りに出ると向かい側には最後の将軍・徳川慶喜や横山大観、朝倉文夫など著名人が眠る谷中霊園

通りで右折し、寛永寺陸橋に向かって約五、六十メートルほど歩き、通りに面した養寿院わきの小路の突き当りが「津梁院」。

建立当時の津梁院は今の鶯谷駅に近い寛永寺坂上にあったというから、そこが津軽屋敷があったところと思われる。
 
寛永八年(1631年)一月十四日、江戸にて信枚公没。
法名「津梁院殿権大僧都徳山寛海」として津梁院に祀られている。
ところで、津梁院の「津」は津軽の津、「梁」は仏典からで橋渡し、案内の意で、彼岸に導く仏の教え。
現在の住職は寛永寺の執務も勤める長澤徳栄さん。
 
 [津軽家墓所]
 津梁院の小路を引き返し、言問通りを横断して向かい小路へ。
京成新の陸橋を渡って突き当たり、右折してまたすぐ突き当たったところを左折。
閑静な住宅地の袋小路の行き止まりの奥が津軽家墓所。津梁院から五、六分の距離だ。
 
石柵に囲まれた百坪ほどの墓所の左手中央に、信枚公の五輪塔(三代藩主信義建立)が二代藩主の威厳を示すかのように堂々と建つ。
塔の正面には「権大僧都寛海」と彫られた文字が読める。
 
周りには歴代藩主らの墓があったが、昭和二十九年(1954)に長勝寺移葬され、現在は最後の藩主で十二代・承昭公、そして津軽家に繋がる方々が眠る。
墓所は津梁院によって管理され、普段は墓所内に入ることはできない。

 






津梁院 威容を誇る津軽家墓所の五輪塔 津梁院に祀られている信牧公の大きな位牌