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番外編 1 2 3

徳川家康が江戸に幕府を開いて四百年の今年、東京では「江戸開府400年」を記念した様々なイベントが行われている。
東京ぶらり散歩では今回、番外編として江戸・東京のなかで息づいた“津軽”を駆け足探訪で紹介します
                                   


[上野の山の津軽藩江戸屋敷]

上野公園として親しまれる上野の山(当時は忍ケ岡)に約三百八十年も前の昔、津軽家の江戸屋敷があったことは今ではあまり知られていない。

現在、上野の地に津軽屋敷の痕跡を忍ばせるのは、二代藩主信枚(のぶひら)公を祀っている菩提寺の津梁院と、津軽家代々の墓所だけ。
 
当時の上野の山は江戸を守る要害の地、かつ景勝の地とあって幕府の重臣であった伊賀の藤堂高虎、越後村上の堀直寄などの屋敷があった。

当時、五万石に満たない外様大名の津軽家が幕府要人の藤堂などと肩を並べて上野の高台に屋敷を構えられたのは、徳川家に重用された天台宗の南光坊天海僧正の庇護があったからといわれる。

信枚は天海の仲介で、福島正則家から出戻りの家康の養女・満天姫を正室に迎えている。
 
三代将軍・家光のとき、天海は「上野は江戸城の鬼門にあたる」と進言。1625年に東叡山寛永寺を建立した。その建設によって立ち退いた各大名は堂塔を寄進、それぞれの法号をとって藤堂は寒松院、堀は凌雲院、津軽信枚は弘前の禅宗寺院とは別に、天台宗の津梁院を建てた。津軽屋敷は上野から神田小川町に移り、四代・信政の時に本所(現在の両国)へ転居する。

 
現在の寛永寺根本中堂 広大な寺領を誇った寛永寺跡の
上野公園広場