がんぶ の まなぐ

不細工の眼

2013


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2013年12月16日(月)
「ハードボイルド」

 みなさん、ずいぶんご無沙汰しておりました。
申し訳ございません。m(_ _)m


 仕事がメチャクチャ忙しいのもあったのですが、最近ハードボイルド小説を読んでおりまして、これが文章を書けなくさせたのではと、反省と自己分析しております。

 周りに影響されやすく、流されやすい私。今までの不細工(がんぶ)にしても、その時々で微妙に文章の書き方が違っているのは、その時影響された本によるところが大きいのです。

 今回はハードボイルド小説に、どっぷり浸かっていたのですが、これが、おちゃらけた私には綴れない文章なのでしょう。不細工(がんぶ)文章が出てこなくなっていたのです。

 きっかけは、六本木の「Kom」というカッコイイお店なのです。
 まぁ〜これが渋いバーで、大沢在昌氏、北方謙三氏という、ハードボイルド作家の代表格ともいえるお二方もちょくちょく飲みに来るのだそうです。

お二人の本。
おもしぇがったぁ!

 実は、このバーのママさんが、われらが故郷青森県のつがる市出身ということでおじゃましたのですが、私はとても気に入ってしまったのでした。
 で、また行くということになると、もしかしたらハードボイルド作家両氏に会うということも想定されます。

 しかし私、恥ずかしいことに、ハードボイルド小説は読んだことがありません。もしもの時、お書きになられた小説を1冊も読んでないのは失礼だと思い、急いでお二人の作品を数冊ずつ買い込みました。

 読み出すと引き込まれました。そりゃもう、あっという間に3冊、4冊と読み進んで・・・、そして不細工(がんぶ)を書いてないことに気がついた次第です。

 ハードボイルドって、男だば誰でも憧れでまる「漢像(おとこぞう)」だんだねな。

 まんず強ぇべ、あど女子(おなご)サもでる(好かれる)。なんでも一通りコナスべ。仕事はあだりめぇ、料理がら何がら。したはんで誰さも謙(へりくだ)る事もいらねぇし、頼らねぇし、当然女子さもな。自信満々で、どした事サも物怖じさね。したばって、時たま優しいどご見せだりすはんで仲間もいるし、カッコイイんだいな。ま、ルパン3世だけんた男だよな。

 やっぱり、気持ちっこ小せくて不細工の我だば、こったカッコイイ漢の思考も、セリフも、描写も、無理だでばな。

 ・・・さしねじゃ。

2013年11月5日(火)
お得大好き

 得すると嬉しいっ!
 まっ、誰でも“得”は好きだとは思うが。

これが、そのCDです。

 先日、BООK・ОFFの500円のワゴンセールで小田和正さんの中古CDを見つけたのです。
 「ラブ・ストーリーは突然に」の曲が入っていたので迷わずレジに持っていった。あの、バブルの頃でトレンディドラマ全盛期の忘れられない曲。

 帰ってから聞いてみるとコレ、他の曲も全ていいじゃないですか♪。それもそのはず、ケースの中に入っていた説明書きに「小田和正ベストアルバム。・・・(中略)8年分のシングルを完全収録!」とあるじゃあないですか。


 私は昔から、気に入ったアーティストのベストアルバムってヤツが大好き。お得だと思いませんか?「ラブ・ストーリーは・・・」の曲だけでも、私の中では500円以上の価値があるのに、ベストアルバムだったなんて。ひゃっほう!!だったのです。


  我(わ)だっきゃ、久しぶりに、本当に小躍りしてまったんず。その小躍り、鏡の前でやったどごで、自分とば見んで、『きり丸』だけんた・・・って思ったんず。

 知らね?きり丸。アニメ「忍たま乱太郎」さ出でくる、お金どタダ 大好ぎだ乱太郎のケヤグ「本名:摂津のきり丸(せっつの・きりまる)」だんだばって。

 実は我(わ)も、チャリンって落ぢだ10円玉ど100円玉の音、聞ぎ分げるんず。わっはっは。

2013年10月8日(火)
偉人の言葉

 「おほかた人の実(まこと)の情(こころ)といふ物は 女童のごとく未練に愚かなる物なり」

 少し前の、読売新聞日曜版よみほっと1面、「名言巡礼」で紹介されていた一文ですが、こういう言葉って、素直に心に入ってきますよね。
 「女童のごとく」には、なにか引っ掛る女性もいるでしょうが、250年ほども昔の例えですので、軽くスルーしていただきたい。

 江戸中期に「古事記伝」を著したことで有名な本居宣長。その宣長が源氏物語を解読した書物で記した一文なのだそうで、『男らしく賢(さか)しらな振る舞いなんて、上辺を取り繕った格好つけ、と断言したのだ』と文者は解説している。(あ、なるほど。津軽弁の『サガシイ』は、漢字では『賢しい』だったんですね。嬉しい発見。)

 これは、もっと奥を覗くと「みんなも好きになった女を忘れられなくて胸が苦しいって経験、あるだろ?俺もあるぜ!」というカミングアウトだ。

 こういう偉人のカミングアウトは、私のような凡人が生きていくうえで非常に重要で、落ち込みがちな弱い心を、開き直らせてくれたり、復活させてくれたりする。「そうか、あの人だってそうだったんじゃん!」ってね。

本居宣長もホンズねぇがった
時代が、あった・・・らしい。

 ちなみに彼は、20代前半の5年間、京都で医者の修行をしたそうだが、その時期は茶屋遊びなども含め、かなり好き放題したらしい。「はめを外し、母親からは『お酒は杯3杯以上飲むな』という手紙をもらう困った青年でもあったという」だそうだ。

 ほかのおほかたの偉人£Bも、人生では人に言えない一時期、一場面はあったはずだ。ないはずはない。あるに決まっている。

 だからといって自分勝手や、傍若無人に生きるのは愚かで迷惑だということも、当然承知している。人は失敗と反省で成長していくもの。特に“口”の反省が非常に多い私。何度「あれは言うべきじゃなかった」と赤面し、自己嫌悪のため息をついたことか。でも、だからその後は言葉に気をつける。それが大人になるって事だし。

 このへんの加減っこが、重要でよ。反省も必要だばって、何時(いづ)まんでも気にして、オッカネがってもマイネはんでな。
 そごの切り替えさねばまね時、こしたすげぇ人サだって、同じんた気持ちっこあったんだって覚(おべ)でれば、次の日がらでも人ど話でぎるんだいな。

 話変わるばって、宣長って、医者さま しながら文学の研究したんだど。すげぇなって、大したもんだなぁって思うばって、たぶん医学より文学研究の方が好ぎだったんだびょん。
 んでねば こらほんど後世まんで評価される研究書、書がいねやな。ほとんどコッチさ心血そそいでったんでねべが。
 ・・・ってすごとはよ、絶対、ヤブ医者だったど思うんず。

2013年9月20日(金)
美味いカップラーメンの、美味いシナチク


 “宗田鰹使用 鶏ガラと鰹の旨みがきいた、コクのあるスープが旨い。旨さがつまった、定番の味”


 エースコックの「まるうま(○の中に、旨というロゴ) 中華そば」って名前のカップメンのパッケージに、遠慮がちに書かれていた。安かったのに美味かった。

 エースコックのカップラーメンは、学生時代から「ラーメン」として食うと『チャチ』な感じが否めないのだが、最初から「他ならぬ即席麺」だと認識して食うと美味いのだ。ベビースターラーメンは、おやつ。一緒にしたくない。例えるとアメフトとラグビーくらい違うのだ。(分かる人だけ、分かればいいんです。)
 マルちゃんも昔はそんな感じだったが、最近は「麺づくり」に代表される本格麺がすばらしく美味い。

 日清は「カップヌードル」という、大ロングセラーカップ麺を作った偉大な会社。NISSINなどと気取った表示で、最近は「水を入れてチン!するだけ カップ カレーライス」なるものも発売していた。ビックリだ。売値300円超は高いと思ったが、興味が私の手を動かしてしまった。余談だが、買ったのは中辛だ。

左:まる旨 みそ(255Kcal)。
右:カップカレーライス(なんと503Kcal)。
まだカレーは、いだわしくて喰ってない。

 話を「まるうま 中華そば」に戻すが、シナチクが美味かった。

 シナチクやタケノコって美味いですよね。大好きです。


 だからこそ、いくらカップ麺であろうと、美味しくないシナチクは赦さないのだが、これは絶妙の歯ごたえ。そう、シナチクもタケノコも美味しさは「歯ごたえ」です。

もちろん、鍋で豚汁なんか作って、タケノコ(もちろんネマガリダケ)を入れたりしたら、あの「ジャクッ」っていう歯ごたえこそが彼らの最大の魅力なのです。


 間違わないでください。レンコンなどの「ザクッ」ではなく「ジャクッ」です。
 どちらも汁気を含んでいることは間違いないのですが、歯が「モノ」を捌(さば)く音と感触が大違いです。たぶん「ジャクッ」には、あのプチプチを潰すのと同じ快感があるのではないかと分析しています。

 いやぁ、美味(め)がったなぁ。特に部屋で一人、酒飲んでがらのラーメンは格別だ。
 こご1年くらい、一人で部屋で飲んでればラーメン食いてぐなるんだねな。
まんずマネごとに、我のマンションの隣さ、ラーメン屋さんあるんだいな。
たまに、どーしても我慢でぎねくて、着替えでまんでも行ってまるんだいな。
帰ってくれば、腹いっぱいだごとさ気ぃつぐんず。したはんで、下さ降りで行がねぇように、243Kcalのカップ「まる旨」中華買って置いでらんず。

 いや、わがってらって。どっちみぢ、飲んでがらラーメンは、身体さ悪りぃやな。太るしよ。
 してもよ、東京のラーメン屋で食(け)ば、1杯800円がら1000円すんだ。へば、まる旨だば105円だんだね。どっちも身体さ悪いんだば、安ぐ済む方がいいっきゃ。

 ・・・あ〜、わがってらって!したばって買ってまったんだはんで、いだわし・・・んだいなぁ。 

2013年9月3日(火)
カラオケ

最近、カラオケにハマッているんです。

熱唱!!
(これは、例のママさんでは
ありませんので、念のため)


 複数で行くカラオケも盛り上がりますが、一人カラオケってぇのもまた楽しいのです。

 昔は、一人で行くカラオケなんて恥ずかしい・・・なんて思っていました。でも、このごろはカラオケの点数が0.000まで出るようになって、登録して全国の人と点数でバトルもできることを知り、ひとりゲーム感覚で楽しんでいます。


 点数の表示もちょっと前なら、例えば90点の次が91点だったのですが、最近は小数点第3位まで判定されるので、今までの同じ90点代も、90.000点から90.999点にまで分けられます。

結構シビアで非常におもしろいのですが、同じ歌でのランキングを競うので、1曲500人くらいのランキング人数の場合は、0.1の位に100人ほどが犇(ひしめ)いていて、なかなか上位に食い込めません。

さらに、そんな人気のある歌は、レベルの高い人がたくさんいるので、1位から5位くらいまでが99点代だったりします。
私には到底無理です。どうしたらそんな高得点がでるのか、生でこの5人のカラオケを聞いてみたいくらいです(別にズルしてるとは思っておりませんが)。


 でも逆に、歌っている人が10人以下だとそんなに高得点じゃなくても上位にランクされるので、嬉しかったりします。しかもこれは、何はどうあれ、全国で3位以内にランクされたってことなので、非常にテンションが上がります。さあ、みんなでチャレンジしようじゃないですか。


 つい最近、お盆で地元に帰ったのですが、地元の仲間と飲みに行ったスナックで、すごぉく歌のウマイママさんのいる店がありました。えらくきれいな、伸びる声でした。

 ものすごく僭越(せんえつ)ではありますが、その方を含め、私が認めるプロなみに歌の上手い地元のママさんが3人います。たぶん、そのママさん達も、それぞれ認める歌ウマのお客さんが何人かいることでしょう。


 したはんで、地元のスナック対抗カラオケ選手権やれば、おもしぇんでねがど思ってらんだ。

 各店のママさん(スタッフも可)ど、お客さんのペアで競うんだ。今だば、あの0.000の点数出る機械で「誰が上手いが?」でねぐ、あくまでも「誰が高い点数出せるか?」で競うんだ。もちろん歌上手だば、いい点数出るべばって、機械サ点数出させる歌い方のテクニックもあるべしな。

 それによ、審査員の好みで上手い、下手決めらいでも、みんな納得いがねぇべはんでな。
 うん、おもしれえったらだな、ワクワクしてまるな。

2013年8月22日(木)
地下鉄のカマキリ

 お盆は故郷の実家に戻ってまいりました。
 避暑のつもりで帰ったのですが、なんのなんの、津軽のお盆も暑かったぁ。


 津軽も8月の初旬と、お盆過ぎには大雨だったらしく、一部では水害も報道されていたのですが、私が帰っていた辺りはギラギラの太陽がはしゃぎまくっておりまして、エアコンの無い実家の部屋はじっとしていても汗が流れる暑さでした。

 おかげさまで暑さに慣れた身体は、東京に戻り、マンションの冷房の利いた部屋に居ると、若干よくない違和感を感じるほどになっていました。

 さて、休暇も終わり喧噪の東京で地下鉄に乗っていると、なんと車内にカマキリを発見!
カマキリですよ、東京の地下鉄で。
体長20pほどのソイツは緑色ではなく、十五夜に供えるススキのような色。
擬態でしょうか?扉の上にひっそりと佇むソイツに、ケータイで写真を撮っても「なに電車の中を撮ってんだよ」的な車内の乗客。私の他は誰も気づかず、なんかクスリと笑ってしまうほど可笑しかった。
結局私は途中で降り、地下鉄はソイツを乗せたままスカイツリー方面に走って行きました。どこかで外に飛んで逃げたと信じています。


 したばってカマキリさ会ったっきゃ、なんだがさ秋とばイメージしてまったんだいな。カマキリの色ススキだったはんでだべが?
 暑っつ、暑っつ〜って、たんだでねぇ〜って、むったどグダメでらばって、夏終わるど思えば、なんが寂しいもんだいな。
 思わず「すとっぷ ざ しーずん いん ざ さぁぁん」って歌ってまるやな。(チューブのファンだんだ)

2013年8月2日(金)
健康第一。命あっての物種。

 7月の10日頃から、何かに祟られたように体調を崩し、8月に入った今もそれを引きずっております。

 まず、咳が出だし、徐々に悪化。同時期に黒目にもキズがつき眼が真っ赤に。そんなワケで内科医と眼科医を掛け持ちすることに。

 幸い自宅マンション近くに2〜3軒隣り合って存在してくれていて、まず眼科に行きます。診察カードを出し、受付のやさしいお姉さんに聞くと「30分程お待ちいただくと思います」と言われます。じゃ、そのくらいに来ますので・・・と言い、外出許可をいただき、内科に行きます。同じく診察券を出し「15分ほどでしょうか」の答えに内科でまず診察をいただきます。ちょうどいい時間で眼科に移動。すかさず名前を呼ばれ、今度は眼科の診察をいただけます。

 待ち時間がほとんど無い。なにか病院に行って得をした気分になった私だった。

健康のありがたさを、文字通り
「痛感」

 眼はオマケだが、風邪の方は梅雨明けと共に襲った猛暑による、慣れないエアコンの冷風、さらに飲み会の多さ(注:仕事もプライベートも両方)が災いし、身体が疲れてたことに起因すると思われる。
そして7月半ばからは、「本当に梅雨明けしたのか?」というようなジメジメした天気。晴れなんだか、雨なんだか、暑いのか、涼しいのか、加えてたまにゲリラ豪雨。これは体調も崩れます。まあ、治りかけて飲み会・・・ってのが3度ほどありました。これは反省。


 そしてトドメは胃。薬が効き咳も出なくなった頃、昼に弁当を食ったら妙な満腹感。徐々に気分が悪くなりました。そして夕方からは、カバのように口の開いた洋式便器さんに向かい合って、正座してうなだれていた私です。おそらく端から見たら、便器に説教でもされているように見えたことでしょう。

 食べたものを戻してからは、だいぶ楽になったのですが、その日から食欲というものが無くなり、今はパンと野菜ジュースと赤いきつねで生きております。まだ身体、弱っているようです。(密かに効果的なダイエットにならないかと期待しているのですが・・・。)

 今、たんげ良ぐなったはんで こしてらばってよ、ホントにヘズネェ時だば「あぁ、ヘズネェ!どへば良ぃんだべ?」って唸ってらばしで、なんも他の事考えらいねもんだよな。したはんで、不細工(がんぶ)も書がいねしてあったんだねなぁ(言い訳)。

 やっぱり健康でねば、なんも でぎねもんだよな。健康第一。命あっての物種だや。
 あぁ、来週がら、飲み会ラッシュだじゃ。ほいど飲み さねように ろ!(自分サ 戒め)。

2013年7月9日(火)
老眼に気をつけろ
最近、近くて小さい文字がよく見えない。
 そう、悲しいことにいわゆる老眼であるらしい。
近視や乱視もそうなのだが、この老眼もじわじわと進行するようだ。
 
3年ほど前、トイレで新聞を読んでいると「なんだか読みづらいな」と思ったのが始まりだった。「これが噂に聞く老眼か・・・」と、そのときは、薄く感動すら覚えたのだが(ウソです)、これが結構困りものだ。
こんな感じでしょうか

 その新聞なんかは今までの経験があり、文脈やら大体の文字のカタチで何が書いてあるのかは解る。だからまだスラスラ読めることは読める。でも一文字、一文字がなにか見づらいのは確かだ。そして、その「見づらい」が日に日にひどくなってくる。若い人には理解できないだろうが、文字の姿がボヤケてはっきりわからないのだ。

 特にそれが顕著に感じるのは「数字」だ。人さまの電話番号を、手帳ではなく携帯電話に登録し、電話帳代わりに使っている私。それが机の上に置かれた場合の距離感では、既に8だか6だか区別しにくくなった。ひょっとしたら3もあぶないかも。

 8、6、3は似ている。最近の私は、このメンバーには怒りすら覚えている。
 個人の携帯電話を仕事で使っている私は、それに登録している電話番号を探し、固定電話でダイヤルする場合が多い。で、それがどういうことになっているかというと、

 携帯の画面に番号を表示する。デスクの固定電話で、それを見ながらダイヤルする。「え〜っと、次は『6』・・・、いや『8』か?」。すると、間違い電話をかけている。謝る。
今度は慎重に番号を確認しながらかけなおす。慎重になりすぎて、携帯電話の画面が暗くなる。それも当然見えない。「ちっ」といいながら番号ボタンを撫でてやる。すると望んでもいない画面表示が出る。あわてて、それを元に戻す。
そうこうしているうちに、デスクの固定電話表示が消えてしまっていて、また最初からやり直し。「なめとんのか!」と無駄にイライラする。
すると、隣の有能女子社員Hさんから「○○社から電話が入ってます」と言われ、そちらの対応をすることになる。・・・仕事が捗(はかど)らない。


 
人って脚がら年寄るってすはんで、コッチさ来てがら地下鉄の上り下りなるべぐ階段使うようにしてらんず。したばって東京の夏、ぬぐみハンパでねはんで、こいがらだば無理さいねんだいな。スーツ汗でビジョビジョどなってまればマネし、汗臭ぇのも人さメヤグすし、なんたってハグランで倒いれば たんだでねっきゃな。(電車さ乗れば、汗臭ぇ人けっこういるや。嫌だっきゃな)
 したばって眼は鍛えでねがった、失敗したぃなぁ。40歳過ぎれば気ィつけへ。人って脚ど眼がら年寄るんでセ。

2013年6月25日(火)
キレる女 懲りない男

 経済新聞。ノンブル(新聞の全ページ上部に、日にちや曜日、ページ数などが記されてある部分、右から左全体を指す。ちなみに、ココと内容を区切っている囲み線は「社罫(しゃけい)」といいます。※ちょっとした新聞ウンチク)に「生活・ひと」と記されたページです。バブル世代既婚男性の心のつぶやき≠ニ、アラフォー既婚女性のものが紹介されていた。

こんな時に戻れる。かも?

 男性の方は、「今晩食べるものある?」と恐る恐る電話で聞くと「食べないって言ったじゃない。急に言われても困る!」と嫁さんにキレられる。仕事なんかの事情もあって予定通りにはいかない。「僕は民宿に泊まってるわけではないんだけどな」と思うとか。

 一方女性サイドは「どうするって何?」から始まる。夫婦どちらも残業の多い仕事。夕方夫からメールが来る。「今晩どうする?」。「先日もらったアレ焼こうか?」などとため息まじりに返信する。疲れていても期待されると仕方が無いという。セーフなメールは「飲んで帰る」。


 コーナーのタイトルが『女と男のいい分/イーブン』。さすが、天下の経済新聞。非常に上手いタイトルネーミング。

 子育ても含め家事全般において、女性がするから良い・・・とも、男性もする
から良い・・・とも言えない。“今の時代”ということと“個人的な意見”と付け加えた方が身のためか?

 こと食事については、ダンナが恐る恐る嫁さんに聞くくらいなら、常日頃ゴハンを冷凍しておき、レンジでチンしてレトルトカレーでも喰えば良い。たまになら24時間営業のスーパーでお総菜を買ってきても、行きつけの焼き鳥屋でテイクアウトして、ひとり家でゆっくりビールも悪くないと思うのだが・・・。酒飲みの発想か?

 女性にしてみても、イヤな電話をもらって、思わずイヤな答え方をしてしまい、お互いイヤな気分になるくらいなら、前述の冷凍ゴハンを用意しておき、「ゴメン。今日は何もないから冷凍庫のゴハンとカレー食べて」って言えば、ダンナだって「わかった」ってなるのにな。オレだけか?


 という私も、単身赴任でひとり暮らしをし、スーパーの買い物に慣れ、できるだけ後片づけがいらないような食事の仕方を知ったからこそなのかも。

 でも、根本はお互いがお互いを思いやった生活と、思いやった言葉での会話ができればケンカは少ないと思うのだがなぁ。あくまでお互いが、ですよ。

 少しだけ歩み寄ってみせて、言葉は大々的にやさしく!でいきませんか?言葉と笑顔はタダですもの!
 自分もできているかと言われれば・・・努力はしている・・・つもり。

 
あのよな、脳科学で男性脳ど女性脳の違いごと書いだ、黒川伊保子著「キレる女 懲りない男」(ちくま新書)で読んだんだばって、女性(おなご)って、先の楽しみが嬉しんだつっきゃ。内容少しハショルばって、したはんで「そろそろ、あのナスのカレー作ってケさ」ってさいれば嬉しいんだど。カレーとば喰ぅ瞬間を思い浮かべで、段取り楽しむんだつっきゃ。してがら、彼女のオリジナルごと「あれ、好きだんだいな。美味(め)っきゃな」ってリスペクトす姿勢とば見せれば、こどに好感度上げるらしいや。
 嫁さん機嫌イぐなってまれば、どす?どんだ?やってみねが? 

2013年6月11日(火)
名前

 6月11日の陸奥新報1面のコラム「冬夏言」(とうかげん)で、名前を間違う、間違われることについて書かれていた。
 個人名、社名などを間違うということは、どう言い訳しても失礼だ。

 しかしっ!悲しいかなチャカシ(あわてもの)で、ハンカクセー(マヌケな)私。自分で間違うことが頻繁である自覚を持っているので、他人をとやかく言う資格も無ければ、立場にも無い。もちろん間違わないように、日々常々気を付けてはいるのだが、どうにもこうにも思うようにできない。

 何もしなくても100メートルを13秒で走る人が、努力すれば10秒台や9秒台で走ることができよう。しかし、足腰にバネのないカラダに生まれたなら、どうがんばっても12秒台も難しいのである。解っていただけるだろうか。「足腰バネ」を「脳ミソ」に換えてみると・・・。天才に凡夫の気持ちは解りづらいのだよなぁ。

 で、自分では名前を間違われる、或いは、覚えていただけない場合は、コチラの“覚えていただく努力が足りてない”と思うようにしている。まあ中には、間違われようが、覚えてくれなかろうが、どっちでも良い相手もいますが・・・。でも、こと仕事となると、やはり会社名と自分の名前を覚えていただくことが第一歩。これが成されないと前に進まないですからね。


 子どもの頃、おもしろい女性タレントといえば研ナオコさんで、今でいえば女お笑い芸人みたいで大人気だった。それでその頃『ナオコ』という名前は男子にモテない女子の代名詞みたいに使われていた。でもその後、河合奈保子さんがアイドル歌手デビューをすると、彼女が180度針を動かす。そこから『ナオコ』という名前は、可愛いマドンナ的女子の名前になってしまったのである。

 ま、ある意味、自分の名前だのって、善(い)ぐも、悪(いぐね)ぐも そのくらいのモンだんでねな?
 間違わいだはんでって怒(えへ)だり、こつけだりさねんで、自分でケッパレばいいんだよな。他人(ほがのひと)その名前で呼ばいれば嬉しいと思うくらい、有名でカッコイイ名前にするのは、自分自身の生き方だんだべな・・・って思ったんず。
 ああ! 「名を売る」って、そういうことだんだでばな!(えへへ、なんが今回、ずんぶイイことしゃべってらんでねな。)

2013年5月30日(木)
二千円札
 今では、とんと見かけなくなった二千円札。ある雑誌での情報なのだが、今も沖縄県では4000万枚を超える流通量があり、このお札全体の、実に4割以上がこの地で流通していることになるのだそうだ。で、日銀に大量の在庫があるとか。

 不人気の理由は、察するところ銀行ATMや自動販売機の対応が進まず、そのおかげで、お店がお釣りで渡せば、お客さんから迷惑がられて「あの店は、客に二千円札を押し付ける」と、まるで厄介払いをしているかのように言われかねないし、客の立場でも同じような理由で支払いに出しにくい。ましてや、お年玉であげようものなら子供から睨まれそうだ・・・から。そんな文字通り「使えない」お札。


 逆に、沖縄ではATMの9割を二千円札の出入金の対応させるように、行政と経済界が地道な努力をして「使える」お金にしたということです。2000年に九州・沖縄サミットをきっかけに発行されて、券面に沖縄の守札門が描かれているということもあるからでしょう。

 「そうだ!使えないものなのなら、手元に回ってきたとき、使わずに貯金できていいんじゃねぇ?」って、一瞬思ったのだが、考えてみると何枚か貯まったからといって、気軽に銀行ATMで口座にも入れられない(現在はどうなのか、お札そのものがないので試してもいないのですが)。そういう意味では小銭の方が受け入れ機械もあってまだ使いやすい。使うのも、貯金するのも、人にあげることさえしづらい、歴史的にも珍しいお金、二千円札である。

 二千円札を考えた時、何故か地上波デジタルテレビを思い出してしまったのだが、これも普及ということでは、「ブラウン管テレビでも見ることはできますが、コッチの方が映りが綺麗ですよ」というだけだと、今みたいな普及はしなかったと思う。あれでも十分な映りだったし、個人的にあんまりdボタンは使わないし。

 二千円札も地上波テレビも、ある意味パセリ」だけんたモンだやな。食(け)ば、食(く)にいいして、けっこう身体サいい栄養もあるんだばって、食(か)ねば食(か)ねしてもイイもんな。パセリさメヤグだばって、我だば「食(く)へ」って、出さいでもちょっと困るし、人がら貰っても困る。そのくらい、進んでだっきゃ食(か)ねモノだな。

 あ、二千円ごと、ける(あげる)って さいれば、・・・やっぱり貰う!そのへん、パセリど二千円札の決定的だ違い。なにどしたって、ジェンコだやな。二千円札さん、なんだかんだ貶(けな)してゴメン。
2013年5月13日(月)
帽子

 弘前から、ようやく桜満開の便りが届いた先週、東京はというと既に歩くと汗ばむような日もありました。身も心も津軽人の私ですが、まだストーブをお使いの故郷に気を使って過ごす訳にも行かず“やむなく”クールビズで出勤させていただいております。

 ということは、これから東京は熱中症の季節。思い出すのは、新橋を歩いていたら倒れそうになり「東京の夏、恐るべし!」と実感した一年目の夏。ここは“塩飴”と“帽子”が必要だ!と、そう思ったのです。

 塩飴は、まあ塩分を補給できりゃ何でもいいのですが、帽子はそうはいきません。似合う、似合わないがあります。これはもう、絶対にあります。しかも専門店なんかや、ファッション雑誌で見ると、価格は一万円超と簡単に手を出せない。そうこうしているうちにひとつ、ふたつと夏が終わってしまいました。

一番ハッキリ見える白のハット。
外では一度もかぶったことがない

 しかし昨年、偶然浅草で激安のお店を見つけてから、帽子を集めるのが趣味なのかと思うくらい買ってしまい、なぜか現在4つの帽子を所有しています。

 最初に買った白のパナマ帽っぽいヤツは、鏡の前でかぶってもピンとはこないまま購入。「千円だから、ま、いいか」と思って買ったモノで、家に戻って鏡で見てもやっぱり似合ってない。

どうも目指す東山紀之さんには程遠いのです(元々が違うんだから、目指すのが、そもそも無理なのですが)。

キャップやハンチングは気が乗らず、やっぱり帽子そのものが似合わないのかなぁ・・・なんて思ってました。


 ところがその後赤坂で、これまた偶然、価格許容範囲内で網目の涼しそうなハットを発見。しかもコレ、結構似合ってるかもって思えるものだったのです。
 
それから浅草に行くたびに帽子屋さんを覗き、そのたびに買い求め、部屋にこんな帽子掛けまで作ってしまいました。(写真参照)


 以前「帽子はかぶっていれば、自分も周りも見慣れてくるもんだ」と言われましたが、それももちろんあったのでしょう。しかし、4つも帽子を並べて見ていたら気づきました。
同じような形に見えても、山の高さや、ツバの大きさ、ツバ前部の角度、横の跳ね上がり具合・・・などなど、それぞれ微妙な違いがあること。そして、カラーリングで着ているモノとも合わせなければいけないこと。さらに、かぶり方として、前を上げて顔を出すかぶり方のときは、前髪を少し出せば、ちょっとはサマになること。それらが似合う帽子を決めるポイントのようだと知りました。


 そいでも、絶対東山紀之さん さっきゃ程遠いんだばってな。歳も考えねばマイネし。

 したばって、そのお陰で今、服買う時「帽子サ合うべが?」って気にす ようになってまって、GW中も そした感じで、ユニクロで(安ぅい)パープルのパンツ買ったっきゃ、今度帽子でねぐジャケットど合わねして。せば当然、次「靴 どすべ・・・」ずがさ、考えでまって・・・。

 その前にオレンジのパンツ買ったっきゃ、ながながイィして“帽子”でねぐ“調子”さ乗ってまったんだなぁ。このパープル穿(は)げば、東山紀之さん でねぐ、ドン小西さんっぽぐ見えるんだ。あ〜あ・・・。(せっかぐ買ったんだ はんで、いだわしじゃ。意地でも穿ぐばってな・・・)

2013年4月16日(火)
岬めぐり
 またまた、地方紙仲間と飲みに行った帰りの話です。
 ちなみに今回は飯田橋の「千福」。女将さんは鰺ヶ沢出身です。お酒も料理も、とっても美味いです。で、だいぶ飲んだワケです。

 駅のホームで電車を待っていたら、隣に泥酔したオジサンが立ちました。
 最初は目をつぶりユラユラ揺れながら立っていらしたのですが、そのうち鼻歌を歌いながら、足元までもフラフラしだしました。
「なんだよ、絡んでくるなよ」などと警戒しながら立ってた私ですが、周りでは、ひとり、また一人とОL風の女性がさりげなく遠くへ移動していきます。
と、その鼻歌は音量が少しずつ大きくなり、終いにはカラオケボックスでマイクを握っているかのような音量になってしまいました。
『さわらぬ神に祟りなし』という言葉が頭に浮かんできて、移動を考えたのですが、自分も少し酔ってるし、いいポジションに座って帰りたいからなぁ・・・なんて迷っていました。


 しかし、そうしているうちに気づいたのです。この鼻歌の曲調、聞き覚えあり!

 これは往年の名曲「岬めぐり」じゃないか!

 「♪あ●たぁ〜がいつかぁ、話しぃてく●たぁ〜、・・・岬ぃめ●りのぉバ●わぁ走るぅ」というアノ曲です。

 もしかしてこのオジサン、オレと同世代なのか?ああ、そういえばオレもオジサンか。なんて考え、自然と笑みがこぼれ、このオジサンに親近感さえ覚えていました。


 歌は世につれ、世は歌につれ・・・。あの頃、テレビで見ていた「ロッテ歌のアルバム」の玉置宏さんの名調子です。(若いヤツ!知らないだろう。はっはっは)

 歌って世の中とば反映すやな・・・ってす意味だんだべけど、その時代ごとも思い出させでけるモノでもあるやな。もちろん玉置宏さんってす人そのものもな。
 おんなじ世代でカラオケさ行げば、やっぱり盛り上がるやな!なつかしい歌のイントロ聞いただけで、なんだがさジャワメグもんな。「あ〜、コレなつかしいぃ!やらいだぁ」って。
 オッチャンもカラオケさ行ってきたんだべが・・・。して、岬めぐり聞いで「やらいだぁ」って思ったんだべが?んでねば反対に、自分で歌って、たんげ拍手さいだんだべが?
 ちゃんと帰ったべが?

2013年4月1日(月)
男親とは

 読売新聞の日曜版に大平光代さんという女性が、酒を語っていた。大平さんは、大阪・北新地でホステスの経験があり、その後大阪市で助役を務めた方であり、本業は弁護士さん。男が嫉妬してしまいそうな、なんでもできる女性だとお見受けする。そして酒もかなり飲める方らしい。まるでオチョコ片手にグイと煽りながら話すように、静かな言葉で現在と過去の酒との付き合い方を書いている。

 でも、今回のがんぶは酒についての話ではない。この中の一節に「ああ、そうなのか」と気づかされたことがあったのだ。
 『・・・あたりめを炙りたいところだが、芳しい匂いで娘が起きてくると、優雅な時間はぶちこわされるのが悩ましい。』
 満月の夜、お気に入りの純米酒をちびりちびりと楽しむ様子に添えられた一節なのだが、お気づきだろうか。ここには男親は使ってはいけない言葉がある。女親だからこそ堂々と言って許されるもの・・・。

この動物の親子がどうしても「母子」に見えるのは、
オレだけ?

 確かに大人の至福の時間には、子どもの存在は馴染まない。
小さな子を膝に座らせて飲む人がいないワケではない。
でもそれは大人しくしていることが条件だ。
炙り香に起きだして、母親のところに来る子は、まだ親に甘えたい幼さだろう。


 しかしそれでも、我が子に「ぶちこわされる・・・」と言ったのが男親なら、その瞬間人間性を疑われる。男親は同じとき言葉を選ぶだろう。しかし、女親だけは許される。それだけ子どもとその母親は特別な関係なのだ。

 そう考えると男親と子どもの間柄は、女親のそれに比べると希薄だ。やはりそれは「お腹を痛めて産んだ」という、男には到底叶わない(敵わない?)関係からなのだろう。

 おいの家さも娘ど息子いるんだばって、親離れだ、子離れだって、そしたごと気にしてらっきゃ、ぐっと話しでぎねぐなってまったな。へば、やっぱり女親って子供(わらす)さ遠慮さねよな。産むのは どしたって女だもの、母って特別だやな。

 解(わが)っちゅうんだばって、なんだが母の方が、父より親のランク上だんた感じして、わんつかバガクセくて「女親、男親」って書いだんだ。
 わがっちゅうんだ。そいで いいんだばってな。

2013年3月21日(木)
親の心は、いずこも

 先日、東京に桜の開花宣言が出て、今週末には満開になるのではと予想されています。このところ青森県もやっと春らしくなってきたようで、今年の「むちゃ降り」とも言える雪もガンガン溶けていることでしょう。青森にいたころ私は、この季節「早く溶けてしまえ〜」と、ハリーポッターの敵役、ボルデモートが魔法をかけるように、窓の外をにらみ呟いていたものです。

 その「雪、むちゃ降り」の頃の話です。
 銀座の一角に、たばこ屋さんなのですが、お昼時になると店内の一角にお弁当を並べ売っている店があります。それが、ほとんど500円のワンコイン弁当。一部は400円という銀座の格安弁当です。けっこうおいしくてバリエーションにも富んでいるので、時間になると店の外に列ができるほどの人気です。私も何度か行くうちに、そこの女将さんが笑顔で挨拶してくれるようになりました。

お弁当がおいしいタバコ屋さん?!

 その日、「寒いねぇ」って女将さんが話し掛けてくれたので、「ウチの地元に比べりゃこのくらいはどうってことないですよ。今年は雪もすごいことになってるみたいですから」なんて言ったんです。

 地元は青森だといったら、女将さんは息子さんが仕事で青森市に暮らしているとのこと。じゃ、息子さんも今年のドカ雪で大変な思いをしてるんじゃないですか?なんて言ったら、「そうらしいのよ。だから、食べ物とか、たくさん送ってやったトコなの」とか。
いいお母さんですな。


 しかし女将さん、いくら雪が平年以上に積もっていて、たいへんだとはいえ青森市内です。遭難しているワケでもなし、お店で食べ物くらい買えますってば。その頃、酢ケ湯で観測積雪日本一を記録したというニュースが流れ、少し誤解をされたようです。(笑)


 母が子供を思う気持ちは、田舎も都会も変わらないというほほえましい話ですが、たぶん息子さんも、送られてきた箱いっぱいの食料を見て、ありがたいとは思いながら苦笑いしたことでしょう。そう言えば、自分も大学生だった頃は食費を浮かせたくて、「
やっぱり米だば青森のものでねばメグネはんで、米送ってけ」と頼んでは送ってもらっていました。すると、届いたダンボール箱には米の他にもいろんなものが入っていたものでした。ありがたいことです。

 一回だっきゃ銀色のパックさ包まさったもの入ってあったんだばって、頼んだものの他は気にさねんで、押し入れサ仕舞ってまった事あった。その銀色って保冷パックであって、中さ「津軽漬け」入ってあったんだ。たんげ経って見つけた時っきゃ、ぐっと臭せぇカマリしてあったもんだ。
 「親の心、子知らず」って、こった事も喋るんだべな。メヤグしたっきゃ。
 してみれば、親父もお袋も、今年金婚式だってらな。
 夏でも帰ったとき、なんが美味ぇもんでも食(か)へに連いで行ぐがな・・・。

2013年2月25日(月)
過ぎたるは・・・

 先日、同業他社のステキな仲間たちと「鍋と日本酒で飲もうよ」って話がまとまり、知る人ぞ知る、錦糸町の「佞武多(ねぶた)」で飲みました。
 青森出身は私だけ、ということで当然お酒は「豊盃」やら「田酒」を勧めました。「やっぱり青森のお酒はおいしいよね!!」などと故郷を誉められ、いい気分で飲み進むうちに・・・その、・・・量が過ぎてしまったのでしょうね。

「ほろ酔いだ」 自覚した時 もう遅い 

            by日本酒

 翌日、頭痛こそ無かったものの、なかなかベッドから身体が剥がれず、いつも土曜日には楽しみにしている「ワンピース」を見逃してしまいました。でも仕事休みでよかったぁ。

 よくある話なのですが、飲み会の後半やら、何時にどうやって帰ってきたのかも、記憶がありません。憶えているのは、電車の中で目が覚めると、降りるはずの駅。そしてちょうど電車のドアが閉まった・・・という場面。記憶がココだけなんて、よっぽど“目の覚めるような”場面だったのでしょうね。
 しかし、「ま、一駅くらいなら歩いて帰れるし、酔っ払いがあわてて駆け出して、足がもつれたりしても恥ずかしいからね」などど、以外に冷静な自分がそこにいて「やるじゃん、酔っ払いのオレ」って思ってます。

 実は私「記憶がなくなるまで飲んでも、なぜ家にたどり着けるのか?−身近な酔っ払いに学ぶ脳科学」(ダイヤモンド社)という本を読み終えたところでして(苦笑)。

 その本によると、酔うということは“脳がアルコールで麻痺している状態”で、記憶がないのは、“脳の記憶を作る場所の麻痺がひどい状態になったから”だそうです。しかし、既に記憶されているモノが消えたりはしないので、記憶を引き出すところが、よほどダメージを受けないかぎり家には帰れるのだということです。
 帰宅過程では案外ちゃんと考えて行動しているらしいのに、記憶はできない脳になっているってワケですよ。

 人と酒の関係は随分古くからのものらしいのですが、地球上の動物で進んでアルコールを摂取するのは、ほぼ人間だけといわれます。そりゃそうでしょう。いくつか条件が整えば、自然に酒ができることもあるでしょうが、そんなに頻繁な現象じゃないはず。人と一緒に暮らす犬や猿は、たまに酒好きもいるらしいけど。

 しても、みんなでワイワイ酒飲むっていいよな。こいも、普段人間として自分とば抑制してる脳の一部が、酒のオカゲでわんつかずんず麻痺していぐはんで、飲んでねぇ時よりも よげ喋ったり(たまに いらねぇ事も?)、いっつもよりモツケになったりして、おもしぇはんでだべな。わんつかだば、いらね事喋っても、笑って赦してけるんた、場の雰囲気もあるしな。脳と肝臓と、一緒に飲んでけるケヤグさ感謝だな。
 ま、酒の量も、喋るごとも、バシラグごとも、何でも過ぎればマイネやな。飲みすぎは反省・・・。
 へば、最後に、この本サ書がさってあった名言、
 「泥酔にも品位はある」
 う〜ん、深い!

2013年2月5日(火)
ビクンッ!ってなる

 晩飯を食った後、ベッドに横になってテレビを見る。暫(しばら)くすると決まってウトウトしてしまう。テレビの番組が、おもしろい、おもしろくないに係わらず寝てしまう。で、「イカンイカン、ちゃんと寝よう。明日も仕事だし・・・」とか思って、灯りを消して布団に入る。すると不思議なことに、今度は目が冴えて眠れない。何でなんやろ?
 そんなことが日課になりつつあり、学習しない自分がイヤになります。

 先日もベッドに寝転がり、そんな流れで、スーッと意識が遠のいた時、突然「ビクンッ」と両腕が上に飛び上がりました。自分の身体なのに「なんだなんだ、何が起きた?」と思ったほどの「ビクンッ」でした。


 考えてみたら、これは久しぶりの現象で、中学・高校時代は何度もあったな、なんて思い出したりしたのですよ。
 学生時代の居眠りは、ほとんどの場合机に突っ伏して寝る。この体勢でこの現象が起きると机を蹴り上げてしまい、みんなに笑われたりとかっていう経験、ことの大小はあれ、みんなありますよね。

 一番酷(ひど)かったのは、高校の剣道部合宿の時、私の場合はこれに加えて声まで出てしまい、クラスメイトだけじゃなく、先生にも呆(あき)れられたことがありました。
 部活をしている夢を見ていたのですよ。剣道って、でかい声で気合を発するんです。夢の中の自分は鋭い目で相手を睨(にら)みつけ、切っ先は真っ直ぐ相手の喉元を狙い、「でぃやぁぁぁぁ!!」・・・ってトコで、夢から授業中(うつつ)に連れ戻されたってワケです。「ビクンッ」とは少し違いますが、あれは恥ずかしかったなぁ。

こういう時、「ビクンッ」てなる。

 しかし、何故(なぜ)あのビクッが起こるのでしょう?
 これは「ジャーキング現象」というものだそうで、脳が起きている状態から眠る状態に移る時に、自分の意志とは関係なく筋肉を収縮させる電気信号を送るからだそうです。たまには、どこかから飛び降りた夢なんか見て、着地の瞬間、脚が「ビクッ」ってなったりもありますけどね。

 ああ、これって子どもの頃はあったけど、大人になってからはないなあ。たぶん「どこかから飛び降りる」ってことが、子ども=日常、大人=非日常、になったんだなあ。

 急に話替わるんたばって、「いねむり」ど「うたたね」の違いって解(わが)っちゅう?
 いねむりは「居眠り」って書ぐんだ。したはんで、そごさ居だまんまで寝でる事だんだど。立ったまんまであったり、座ってで寝る、とがだな。へば、うたたねは「転た寝」って書ぐんだはんで、寝っ転がってるってす事だ。そごが違いだんだど。こないだ、テレビ見んで覚(おべ)だんだ。
えへへ。
 してみれば、「転た寝」ってす言葉の響きって、ホンワカしてでやさしいんた感じだばって、「居眠り」って、なんが後ろめたい&オ囲気あるやな。
 学校で、よぐ「居眠りすな!」って叱らいだはんでだべが・・・。

2013年1月15日(火)
いつも降る雪、たまに降る雪

 みなさま、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 新年のごあいさつが遅くなり過ぎて、不細工のうえにマヌケになってしまいましたが、今年最初の不細工(がんぶ)です。

 それにしても、子どもの頃はお正月が大好きだったのに、いつの頃からか、ただの1年と1年の繋ぎ目になってしまいました。やっぱりお年玉を貰えなくなってしまったからでしょうか?
 いいえ、心の狭いことには定評のある私ですが、そんな卑しい心ではないはず。
 きっと心が無垢ではなくなったのでしょう。薄汚いことなどは考えてはおりませんが、お正月でも、明日・明後日・何日後・・・と、なにかやらなくてはいけない事が頭のどこかに有る。そんな垢にも似たモノを、いつも剥がせずにいるのが大人だからなのでしょうね。ま、仕事の予定なんかだと忘れちゃ困りますからね。それに実家に居ると、大晦日の夜お酒を飲んでいても、雪が降っていたなら「ああ、明日も朝起きたら雪片付けなきゃ・・・」などと、考えてしまいますもん。東京ではそんなこと考えなくていいですけどね。

 でも14日、東京にも雪が降りましたねぇ。しかも爆弾低気圧と仲良く一緒に来たもんだから、けっこうな量(10cm弱)が降り積もって歩きにくいし、風も強くて横から吹き込み、服に着いてビッチョビチョ。タチの悪い雪でした。

1月14日。雪の品川区

 しかぁし、もうすぐ東京に来て3年になる私も、それでも青森県人の誇りと雪道の歩き方は忘れちゃいません!
スノトレ(ハイカット、滑りにくい靴底の、雪で履くスニーカーみたいなもの)も持ってきていますっ!
弘前で購入したモノですっ!
値段は忘れましたっ!


 昨冬の降雪時みたいに、新橋のSL広場でもスイスイ歩いて見せてやろうかと思いましたが、この積雪量とシャーベットの雪質は、いかな靴底でも侮れません。雪の達人と言われる青森県人が、万が一コケて、テレビとかに流れても恥ずかしいので、ヤメました。ジグナシ?いいえ、“君子危うきに近寄らず”です!

 こった時、むったどテレビの中継入るのが、新宿・渋谷・銀座・新橋だんず。人で混雑してら駅だば新宿。若げものの様子だば渋谷。上品だ奥様だば銀座。して、サラリーマンど、酔っ払ったオヤジだば新橋だんだ。
 東京サ来る前だば「やっぱり東京のテレビ局違うなぁ。天気予報の中継でも“ココが東京”ってす所(どご)まんで行ぐもんな」って感心してあったんだじゃ。NHKは渋谷、TBSは赤坂、テレビ朝日は六本木だのって、スゲーなって。したばって、みんな放送局ある場所であったのさ。
 んだんず。建物がら、外サ出はっただげ だったんだでばな。
 なんぼまんだな、すっかど騙さいであったじゃ!(?)

 


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