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2016.9.1
日本初の総合美術全集「集古十種」  全85冊が現存
 
       
 江戸幕府の老中・松平定信が編さんした日本初の総合美術全集「集古十種((しゅうこじっしゅ)」を弘前藩9代藩主・津軽寧親(やすちか)(1765〜1833年)が所蔵し、その所蔵本が全85冊そろった形で残っていることが4日、本紙の取材で分かった。「集古十種」の研究家で、現在所有する渡辺淑寛さん(68)=栃木県真岡市=らによると、他にも現存する例はあるが完本は非常に珍しく、幕府の重鎮と津軽家の交流をうかがい知る貴重な史料にもなっている

津軽寧親が所蔵した「集古十種」と
渡辺さん=栃木県真岡市
 渡辺さんは大学で美学・美術史を専攻していた40年以上前、名古屋市内の博物館で「集古十種」を初めて目にし、描かれた甲冑(かっちゅう)の絵などの精密さに驚嘆。以来入手を願い続け、1998年に東京都内での古書入札会で全85冊そろったものを購入できた。

 それらの本のほとんどに「奥文庫」の印章が押されており、渡辺さんは当初から注目していたものの、その意味がはっきり分からず、自身の所蔵古書などを紹介するホームページ上で情報提供を呼び掛けていた。

 その呼び掛けを見た元弘前図書館長の宮川慎一郎さん(61)=弘前市=が、印影は寧親のものであることを確認し、今年7月に寧親の所蔵本であることを渡辺さんに伝えた。


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 宮川さんによると、同種の印影は弘前藩の藩校「稽古館」の系譜を引く東奥義塾高校(弘前市)に津軽家から寄贈されたものにも確認されている。
「集古十種」が刊行された1800年は寧親が藩主だった時であり、印影の大きさと字体からも「間違いないと考える」という。
 また渡辺さんによると、「集古十種」は木版画本で、寧親の所蔵本には印刷が欠けた部分が見られない。これは版木が新しいことを意味し、虫食いがないことを表している。

「集古十種」に押された津軽寧親の印章「奥文庫」
(朱色の部分)
 一方、専門家によって刊行年代が特定された福島県の三春町歴史民俗資料館所蔵のもの(1822年以降)は印刷が欠けた部分が若干ある。このことから、寧親の所蔵本はより古いとみられる。



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 寧親が所蔵することになった経緯について、宮川さんは「『集古十種』には弘前藩所蔵の美術品を参考にしたと思われる部分がある。資料提供のお礼として松平公が贈ったのでは」と推察。
 その上で「『奥文庫』は藩主の私的な所有物に押されていたと考えられる。寧親は手元に置いて大切にしていたのだろう。保存状態が良く、200年以上前のものがきちんと残っていることに驚いた」と語る。
 渡辺さんは、寧親の所蔵本がかなり初期に刊行されたものと考えられる点に触れ、松平との交流の深さを推察。官位・侍従を授かるなど津軽家の家格を上げ、文化への造詣も深かった寧親を「かなり有力な人物だったのだろう」と評した。

集古十種 
 江戸幕府の老中・松平定信(1758〜1829年)が老中退職後の1800年に刊行した古書画・古器物の図録集。木版刷りの全85冊で、碑銘、鐘銘、兵器、銅器、楽器、文房、印章、扁額、肖像、古書画の10種類に分類されていることから命名されたと言われる。津軽家の菩提寺・長勝寺の鐘の銘文なども載せられている。

津軽寧親
 分家の黒石津軽家から養子に入った藩主だが、弘前藩の石高が7万石、10万石へと高直りした時代の藩主であり、自身も官位・侍従を授かるなど津軽家の家格を上げた人物。藩校の「稽古館」設立に携わるなど文化・学問への造詣も深かった。