東京雑感   冬は銭湯が一番だべさ   fainal 2011.2.21


「積もったんだじゃ」

 今冬は例年になく寒い。東京に赴任して5度目の冬。
雪が降り積もった光景を目の当たりにして郷里を思い出した(写真1)。住まい近くの池尻大橋でシャッターを切った。国道から脇道に入ってすぐのところだが、思いのほか暗くてカメラが敏感に反応してストロボが光った。

 東京ではめったに氷点下にならないので雪が降っても消えてしまう。撮影したのは2月14日の午後10時すぎで、気温が下がっていたため積もった。東京で積雪を観測したのは4年ぶりだったとか。道路にタイヤ跡があって一瞬ながら東京にいることを忘れた。

 首都で雪景色に出くわすとは思わなかった。記憶に残るであろう天の贈り物。この日はバレンタインデーで、「東京雑感」の編集長ことS女史からもらったチョコレートが鞄に入っていたが、雪景色を見た驚きとうれしさでチョコがもう1個増えた気分になり、年がいもなくわくわくした。


 「いい湯っこだべさ」

 住まいから徒歩で5分ほどのところに銭湯がある。沸かし湯だが、薬湯、ジェットバスで体が温まるので冬場は重宝している。今年は寒かったので通う頻度が増えた。

 そこは「月の湯」といって、趣のある千鳥破風造りの外観(写真2)。銭湯なら脱衣所の天井が高いイメージがあるが、期待に違わぬ折り上げ格(ごう)天井。正方形に区画された天井の模様が格調の高さと重厚さを演出して、マニアにとっては垂涎ものだ。

 一昨年から月に1度か2度のペースで社説を書いている。東京支社発の社説は津軽の題材にこだわりたいと思いつつも、東京と津軽、800`の距離は時と場合によっては絶望的で、いかんともしがたいものがある。

 だから脱稿した後はプレッシャーから解き放たれて鼻歌をうたいたい気分。2、3日のうちには銭湯で肩、背中の張りをジェットバスで和らげ、マッサージチェアでリフレッシュしている。
 

 「めらめらと対抗心がさ…」

 ある日、社説が終わった日の夜に浴場で体を洗っていたら、自分の左二つ向こうのカラン(蛇口)に陣取った男がいきなり鼻歌をうたい出した。開放的なことでは負けたくないと自分もとっさに「ナナナナー」とチャイコフスキーのピアノ協奏曲で対抗した。
 クラシッックながら誰の作曲、曲目とかは一向にかまわない。だが途中で楽章が分からなくなって鼻歌が止まった。
 するとシャワーで洗髪していた彼がひょいと顔を横にし、自分を見たと思ったら鼻歌のトーンが一段と高くなった。演歌だった。自分は体を洗い終えたタイミングでその場を離れた。
 彼とはすぐに脱衣所で対面。頭髪が薄いものの肌につやがあり同年代と感じた。以来、彼を鼻歌野郎とライバル視し雪辱の機会をうかがっているのだが再会していない。
 なぜチャイコフスキーだったか、敗因を分析するまでもなかった。歌手の和田アキ子がテレビのコマーシャルで「ナナナナー」とやっていて、それがひょんなことで頭をよぎった。次は知っている曲で勝負をするつもりでいる。


 「話は尽きないじゃ」

 銭湯での話題は尽きない。ある時、入浴中に妙な視線を感じた。相手はもちろん男性で自分より若かったが、風呂上がりにタオルで体をふいていたら、彼が後を追うようにして来て、優しげな口調で話し掛けてきた。
 「湯上がりの肌が真っ赤でいいですね。うらやましいです」。ひょっとしたらモーションを掛けられるかもしれないと心の準備をしていたが、あまりにも突飛で予想外の問い掛けに返事に窮した。
 すると彼が打ち明けた。実は高血圧症で長風呂は禁物、体を温める程度にするよう医師から忠告されているとか。通りで自分の肌をなめ回すようにじろじろ見ていたわけだ。
 あっち系の輩でないと分かって安堵し、治療の効果がないのか尋ねた。すると「精密検査を受ける前にリストラに遭い、会社を辞めてしまったのでその後、病院には行っていない」とか。
 働きたくても職場がないという現代社会のひずみ、残酷さを思い知らされて同情していると、脱衣所の仕切りの壁の向こうから「あなた居る? 帰るわよ」の声が。いそいそと帰り支度をする彼を複雑な思いで見送った。

 またある日は、自分がカランの場所から空のシャンプーを3、4b先のくず箱めがけて放ったら偶然にも入った。それを見ていたご老体が「お見事」と叫んだことで、親しく話をすることに。
 だいぶなお年だが、互いに湯船につかりながら「月の湯」近辺でマンションの建設ラッシュが起きていて、近い将来、周囲は一変するという話を聞いた。街の変遷には興味があるが、長話で湯あたりをするといけないので、詫びを入れて早々に切り上げた。


 「絵は富士山が多いべさ」

 ところで銭湯文化に欠かせないものに背景画がある。浴場を明るく広く見せる効果があり、富士山が多いことでも知られる浴槽の壁に描かれている絵のことだ。
 背景画はペンキ絵とタイル画があるが、昔ながらのペンキ絵の銭湯絵師は現在は全国で数人しかいない貴重な存在。下絵や構図を描くことなくぶっつけ本番で一気に描き上げるのだからまさに職人技。
 背景画で富士山が多いのには理由がある。東京都の公衆浴場業生活衛生同業組合によると、ペンキ絵はそもそも大正元年(1912年)に神田猿楽町にあった「キカイ湯」から始まったとされる。キカイ湯の主人が浴場の壁が寂しいので何か絵を描くよう知り合いの画家に依頼し、出来上がったのが富士山の絵だった。ところがその富士山のペンキ絵が評判となり、あっという間に都内の銭湯に広まったという。なぜ富士山だったのか。画家の出身地が静岡県だったというオチがつく。
 まぁ富士山は日本一の山で縁起がいいし、反対する人もなかったろう。半面、背景画でタブーとされるのは夕暮れや紅葉、冬景色など。暗くて寂しい、寒々しい印象を与えるといういうのが反対される理由だ。


 「苦い経験もあったんだ」

 銭湯での取材で記憶に残っていることがある。30年近い昔だが、当時郷里の弘前は郊外に誕生した温泉施設が家族連れに人気で、町中にあった銭湯が後年、一軒また一軒と姿を消していった。郊外温泉は駐車場を備え、車で乗りつけるファミリーで大盛況。
 それは駆け出しのころで、浴槽にコーヒーの粉を入れた「コーヒー風呂」が好評との売り込みで、市内のある銭湯を訪ねた。
 番台にいた男の主から女風呂の脱衣所に招かれ、小あがりのような台座でメモった。夕刻前で混み合う時間帯でなかったものの客はいた。自分は主人の眼を見て視界に何も入らないよう努めた。
 なぜ女風呂の脱衣所だったのか。今にして思うのは自分は主に歓待されたのだ。若かったのは確かで、着替えをする中年女性の戸惑った態度が目に浮かび、拷問のような時間だった。
 何も視界に入らないよう主人の眼と取材ノートだけを注視したのであるからして、思い浮かんだ光景は想像であろう。何しろ真偽がわからなくなるほど昔なのであるから。


 「長らく感謝しまっす」

 だらだらと文が長くなった。ゼロか百か両極端なところがあって、とりとめのないことを書いた。夏場の数寄屋橋のソニービルから半年、こんなに寒い東京を経験するとは思わなかった。

 江戸川区役所で銭湯の背景画展があるというので訪ねた(写真3)。江戸川区内52の銭湯(一部温泉も)が写真で紹介されている。
そこで銭湯ファンだという女性が「沸かし湯でも薪で焚くお湯は重油やガスなどと比べようもなく軟らかくて肌に優しいの」と言ったのが印象深い。目から鱗が落ちるとはこのようなことで、温泉もいいが、昔ながらの銭湯はなくせない、そう思った。



「まだまだ勉強不足。未熟さゆえに発見や驚きがあって、それが万年青年の所以なのさ。格好つけだり覚えたふりでぎないんだ。
書き進んでいって、銭湯が東京での生活に欠かせないものになっていたことに気づいたじゃ。日本(江戸)の銭湯文化をなぐせばまいね。心からそう思うじゃ」



万年青年Y



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