東京雑感   季節外れだがらいいんだ 2010.1.28


「かまりがすごいや」


 新橋隣の汐留に浜離宮恩賜公園がある。徳川将軍家ゆかりの広大な庭園で、そこで紅梅が咲いている。
 園内で最も早く咲く八重寒紅で、近くにある梅林はまだつぼみが固い。低木だから花のクローズアップ撮影は容易で、甘酸っぱい香りにむせた
(写真1)

 都内で初雪が観測されたのが1月12日。平年より10日、昨冬より3日いずれも遅かったが、その影響だろうか。園内の管理事務所によると、八重寒紅は昨年より1週間から10日ほど遅く咲いたという。確かに正月明けは寒かった。

 とはいえ冬場に咲く花はけなげで、冬枯れで色彩が乏しい中にあって深紅の花はいやがうえにも目立つ。紅梅を見つけた来園者が心を躍らせ、撮影する光景が後を絶たなかった。
    
 
「徳川幕府の遺産やね」

 恩賜公園。天皇や大名など権力者所有の土地を下賜(かし)した公園で、都内で代表的なのは上野恩賜公園、井の頭恩賜公園、猿江恩賜公園、旧芝離宮恩賜公園などで、いずれも都民の憩いの場になっている。

 浜離宮恩賜公園は東京湾に接している。海水を引き入れた潮入りの池と2つの鴨場があって、江戸時代には江戸城の出城としての機能を果たしていた。

 大手門わきの掲示板におおよその由来が記されている。元々は徳川将軍家のタカ狩りの場で一面のヨシ原であった。承応年間(1652〜1654年)に4代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重の別邸となり、甲府浜屋敷、また海を埋め立てたことで海手屋敷とも呼ばれる。綱重の長男、綱豊(家宣) が6代将軍になったのを機に将軍家所有となり改修、景観を整え浜御殿と改称された。その後の歴代将軍も整備を加え、園内には茶園、火薬所、織殿などが営まれたほか、幕末には石造洋館・延遼館が建設された。

 明治維新後に宮内省所となり、園地を復旧して皇室宴遊の地に当てられ、浜離宮と名称を改めた。その後に関東大震災や戦災で御茶屋など多くの建造物や樹木が損傷、焼失し、終戦の昭和20年11月に東京都に下賜された。


「外国人が多いんだ」

 そうした歴史的背景に照らせば、浜離宮は大名庭園を中心とした南庭と明治以降に造られた北庭とに大別される。北庭には先ほどの紅梅がある梅林やボタン園とお花畑などがある。

 大手門から入り、都内最大の黒松「300 年の松」
(写真2)を眺めながら南庭に向かった。延遼館跡で松の剪定作業が行われている(写真3)。枝を刈り取る前(写真4)と後とでは印象が全く違う。見比べれば一目瞭然。

 鴨塚を通って潮入りの池へ。中島の御茶屋が見える。御茶屋は空襲で焼失し、昭和58年に財団法人日本宝くじ協会の助成事業で再現したもので、そこでは有料(500 円)ながら抹茶と和菓子を味わえる
(写真5)。お伝い橋と呼ぶ延長118 b総ヒバ造りの橋でつながっていて情緒をしのばせる。海外の観光客に人気なのも理解できる。実際、この日も外国人が多く見られた。

 潮入の池は都内にある江戸時代の庭園では唯一現存する海水の池で、ボラが群雄するほか、セイゴ、ハゼ、ウナギなど海水魚が棲息する。水が濁って魚影は見えなかったが、東京湾の水位の上下に合わせて水門を調節しているようで興味深い
(写真6)

 鴨場を通って北庭へ。北端は築地川に接しており、水上バスの発着場がある
(写真7)
浅草、両国、お台場公園、葛西臨海公園などの観光スポットと結ばれ、東京湾クルーズが楽しめる。川の水がぬるむころは多くの乗船客で発着場は混み合うだろう。


「梅の見ごろは2月下旬だべ」

 東京ではいやというほど人混みにもまれている。今はオフシーズンだが、季節外れだからこそのんびり散策できた。田舎者の自分には閑散とした光景や空間で静かな時間を過ごせることに望外の幸せを感じる。

 汐留は再開発で一変した。2002年に区画整理が完了しており、隣接する汐留シオサイトの高層ビル群が眼前に迫る
(写真8)。銀座、新橋から近い都会のオアシスで、散策スポットとしてもお薦めだ。

 例年2月中旬から3月にかけて梅林や一面に咲く菜の花が楽しめる。週末や祝祭日には庭園ガイドもある。

 水上バスの発着場に向かう途中で赤い花の寒ツバキを見つけた。盛りが過ぎてか、木の根本に花が散乱して素通りする人が多い。「それに比べて紅梅は訪れる人から好まれて、喜ばれて。ツバキは花が大ぶりで潔く落ちるらしいんだけれど、この時期に落ちても落ぢでも花をつける寒ツバキにたくましさを感じたじゃ」

             
万年青年Y




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