東京雑感   21世紀の象徴になるべさ 2009.11.19

「独り占めした気分でさ」

 墨田区押上地区に建設されている東京スカイツリーが今月に入って200bを超えた。 
浅草にあるアサヒビール吾妻橋本部ビル最上22階のカフェラウンジからの光景がこれ
(写真1)。18日だったが、数日ぐずついた天候の後で小春日和に恵まれた。

 新タワーは地上デジタル放送用の電波塔で、2011年暮れに竣工し翌12年春に開業される予定だが、さすがにこの高さになると目立って異彩を放つ。浅草駅近くの隅田川に掛かる吾妻橋からも見え、足を止めて見入る人も
(写真2)

 下町界わいでは日ごと見物人が増えており、タワーを望める墨田区や台東区のホテル、商業ビルでは眺望の良さを売りに繁盛している。商魂というより建設段階で既に観光スポット化しているのだ。

 このカフェラウンジも、日テレのズームインSUPER で建設中のタワーがよく見えると紹介されたことで、週末には大勢の客が押しかける。平日の午前中だったので客もまばらで、撮影が目的の自分は土日の混み具合を想像しながら眼前にそびえるタワーを独り占めでき、贅沢な気分を味わった。


「武蔵って覚えるのさ」

 先月だったが、新タワーの最高高さが当初の610bから634bに変更された。事業主体である東武タワースカイツリー株式会社が発表したもので、構想当初から自立式電波塔での世界一を掲げており、中国の広州タワー(高さ609b)など世界各国で高層の電波塔が相次いで建設、計画される中で上積みされた。

 634bは語呂合わせでムサシ。武蔵野に君臨する天を仰ぐような威容を想像する。日本の技術と文化水準の高さを世界にアピールするとともに、新たな創造発信の拠点にしたいとのコンセプトが世界一にこだわる理由でもあろう。延長されるのは鉄塔最上部とデジタル放送用アンテナのジョイント部分で、第1展望台(地上350b)、第2展望台(地上450m)など基本的な設計に変更はない。

 タワー建設はまるで雨後の竹の子のように進ちょくする。昨年7月にくい打ちをして着工。最先端の掘削技術で基礎工事やエレベーターシャフトの立ち上げなどを経て4月6日から地上部の組み立てに入った。6月4日には三角形のタワーの足元が整って高さが50bに、8月7日には100bに達し、9月18日に150b、そして今月10日に200bを超えた。1日1b強のペースか。 


「照明も凝ってるや」

 最終的に現在の3倍の高さになるわけで、完成時を想像すると胸が高鳴る。ついでながら、鉄塔構造は五重塔にみられる心柱を中心にした制振システムを採用、最新の技術で再現されるので崩壊の心配はない。
 竣工まで1年余り。タワーのライティングデザインが凝っている。江戸・東京の心意気を示す「粋」(写真3)と、美意識の「雅」(写真4)の2種類で、それを1日ごとに交互に現わす。

 低炭素社会に向け、照明器具はLED(発光ダイオード)など超寿命、高効率な光源を採用。省エネを重視した最先端の照明技術で、灯りが闇を際立たせ、闇が灯りを引き立たせるという「陰影礼賛」の趣を醸す。

 「粋」は隅田川の水をモチーフにした淡いブルーの光がタワーの中心を貫く心柱を照らし、「雅」は江戸紫をテーマカラーに金箔のようなきらめきのある光が鉄骨にちりばめられる。
 担当したのは浜離宮恩賜公園のライトアップやホテル日航東京チャペルの照明デザインなどを手掛けた戸恒浩人さん。若い気鋭の照明デザイナーで、みずみずしい感性で21世紀の象徴となるタワーに夜の息吹を吹き込む。


「やっぱりゴジラなんだ」

 ところで冒頭、カフェからの展望でタワーの建設現場が思ったより近いことが分かった。浅草駅からでも直線で1`くらいか。
 都心では最寄り駅から目的地までの道順を覚えるので電車に頼りがち。遠くても目印になるものや目標があれば心強い。

 前に取材で錦糸町のホテルにいた。帰りに建設現場に立ち寄るつもりで最寄り駅である東武伊勢佐木線の業平駅への乗り換えを調べていた。だがホテルからタワーが見えたので気が変わった。錦糸町駅に向かわずタワーを目指して歩いた。

 錦糸町から業平は地下鉄半蔵門線で1駅の押上で降り、そこから徒歩で5分。結局、信号待ちなどで15分近くかかったが、電車を利用しても駅通路や構内を歩くのだから時間的に差はなかったろう。ともかく下町の風情を感じながらの散策はよかった。歩くと何かしら発見があるものだ。ちなみにその時のタワーの高さは174bだった
(写真5)

 支社に戻ってS女史に「錦糸町から近いんだ」と言ったら「だからゴジラがスカイツリーを倒せばわいのマンションつぶれるって前に言ったでばし」。
自分はいたく納得し、ゴジラが暴れる特撮映画の世界を思った。


「目標は達成したばって」

 東京スカイツリーの供用とともに、日本のテレビ電波塔として半世紀の長きにわたって君臨してきた東京タワーはその座を明け渡す。地上波デジタル放送の本格実施によりアナログテレビは映らなくなるのだ。

 時代の要請とはいえ、新旧交代の時期が迫っている。自分が幼少のころ、父の出張土産である東京タワーグッズを見て東京へのあこがれや夢を膨らませた。だから大学進学も地方は考えないで都内にこだわった。それも文系。建築家の跡取りとして理工系を望んだ父は落胆したろう。自分には素振りをみせなかったが、今にして思えば親不孝だった。

 自分は先月、父の生涯である56歳6カ月を超えた。生きていれば84歳。実家の地下には定年後に読むと父が買いだめた書籍が眠っている。
 いつのころからか志半ばで他界した父より長く生きることを目標にしていた。母は健在。まだ生き長らえたい。

 「70まで生きられるべか。会社人生も終盤。マラソンに例えればゴールの競技場が見えてきた。体力ないがらラストスパートもままならないんだばって、頑張って完走めざすじゃ」

                                                    
万年青年Y

※写真3、4は東武鉄道株式会社と東武タワースカイツリー株式会社提供

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