「超高級住宅街だべさ」
田園調布駅の西口に古いシンボリックな旧駅舎(写真1)があり、そこを出ると池やベンチ、花壇を配した半円形の憩いの空間がある。住人なのだろうか。思い思いに憩い、談笑している(写真2)。
駅前のロータリーから3本の放射状に伸びたイチョウ並木が見える。同心円といえばいいのか、旧駅舎を中心にコンパスで線引きしたように南北に道が走り、扇状に街区が広がることで良好な住環境がみてとれる。
並木通りは青々と鬱蒼(うっそう)としたイチョウの葉が陽光を遮っている(写真3)。前に訪れた時は夕刻だったために、通りだけがやけに暗くて撮影できなかった。
よそ様のお宅を覗くのは気が引けるが、豪邸みたさに周辺を散策した。だが大理石の門柱などぶ厚い門扉や塀が往来からの視線を遮る。塀のないオープンな邸宅もあるにはあるが、大概は大使館を思わせるような堅牢な造りで要塞のよう。通りからは住人の暮らしぶり、生活感がイメージできなかった。
「理想的な街区さね」
都心の超高層マンションに居住するのが現代のステータスなら、ここは昭和の雰囲気を放つ富裕層が集う街。
東口が商店街になっているのに対し、西口は駅を中心に理想的と思える街並みが広がって、落ち着きと安らぎが得られ、高級住宅街としての価値はいささかもその輝きを失ってはいない。
そもそもここは大正時代に経済界の長老渋沢栄一翁らが、閑静で居住に適した田園都市を目指して造られた。駅前の掲示板に「『町中が一つの公園のように』と理想の町づくりに励んできた住民の英知と努力の賜物。秩序ある美しい町並みは今も維持されており、都市景観百選の一つに選ばれている」と書かれていた。町名も田園都市の「田園」と旧村名の「調布」からとったとある。
「ケヤキを保存したんだ」
イチョウ並木から北に300 bほど歩くと環八通りがあって、自由が丘方面に向かうと、途中にKEYAKIGARDEN(ケヤキガーデン)がある(写真4)。
そこは1960年代に建築家宮脇檀氏が設計したドライブインVANFANの跡地。VANジャケットを売るメンズショップもあって、アイビールックの若者らの熱いスポットだった。前庭のケヤキがにぎわいの象徴であったか。
それが建物の老朽化に伴い、立て替えする中でケヤキが伐採されることになった。それを知った近隣住民からケヤキを残してほしいとの声が上がり、保存運動が起きた。
核となったのがNPO玉川まちづくりハウス。地元の熱い思いが所有者と建築家の心を動かし、ケヤキの移植に最低限必要な100
万円の募金を始めた。
それが一昨年8月のことで、NPOは「緑のコモンズ基金」として募金活動を展開。工事中はケヤキを埼玉県所沢市に移し、昨年8月に1年ぶりに元の場所に植栽された。建物が竣工した秋に寄金の贈呈式が行われている。
このことはマスコミで報じられ、話題になったようだ。世田谷区の樹木移植助成制度(5万円)も活用されているが、何より住民の緑や樹木に対する愛着の深さを表した出来事であったろう。
「プレート見たじゃ」
KEYAKIGARDENは1階が店舗、2、3階が集合住宅になっている。ケヤキは長くて樹齢50年か。幹が7、8本束になっていて、根本にプレートがある(写真5)。
ステンレス製で、VANFAN時代から衣食住の気概を継承する地だとの旨が記され、イラストが添えてある。
これは弘前市に住むデザイナー秋田穂積さんが描いたもので、彼もここで若かりしころ青春を謳歌したのであろう。夫人の昌子さんも板画(いたえ)作家で、昨年都内で取材している。面白いご縁だ。
「玉川田園調布もあるんだ」
ところで田園調布から環八通りを渡ると、街並みが庶民的になり、生活感が現実のものとして感じられる。
KEYAKIGARDEN周辺は玉川田園調布の地名で、都市計画街路の計画路線があるなど、街区が整った田園調布とは違って街自体が大きく変貌する可能性を秘めている。
だからこそNPO玉川まちづくりハウスがあるのだろう。そこでは豊かな住環境を目指して環境保全活動や街づくり・生活支援などをしている。今回のケヤキの保存活動もそうなら、過去には区の資材置き場に温水プールを建設する予定だったのを、ワークショップなどで住民総参加型の原っぱ「ねこじゃらし公園」を完成させるなど、NPOの存在は地域にとって大きい。
縁あって玉川まちづくりハウスを訪ねた(写真6)。運営委員長の小西玲子さんが自宅の一室を事務所として提供し、小西さんら女性3人が時給制で働いていた。
「小西さんが言っていたじゃ。『頑張るにしても住民と行政と企業が対等でないと街はよくならない』ってね。物静かだけれど本当は芯の強い人だね。田園調布もよがったけれど、生活実感のある玉川田園調布は先が楽しみだ。いずれまた行きたいね」
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