「牛どごさ行ったべ」
丸の内界わい。昼時は外食する商社マンらでにぎわう。師走なのに街路樹の銀杏の葉が落ちきらない(写真1)。
12月も下旬なら津軽はとうに冬。雪片づけに追われる一方で、都内は津軽の感覚では晩秋と見まがうほどに暖かく、日中はコートなしで歩ける。 夏場に大手町への行きすがらこの辺りを通って牛像を見た。来年の干支が丑(うし)なので、縁起をかついで12月に入って早々、何度か行き来したが、ついぞ見つからない。
場所は丸の内仲通り商店街。落ち葉を収集中の清掃作業員がいたので、この辺りに牛像がないか尋ねた。そうしたら申し訳なさそうに「期間限定なんです」との答え。
そうか。牛像は常設ではなかったのだ。期間限定のモニュメントで、四季折々の街にアクセントを添えていたのだ。ブランド店が軒を連ねるおしゃれで高質なショッピング街のムードづくりに一役買っていたということか。
自分はてっきりステーキが自慢の高級レストランあたりが、客寄せ目的で店の前に置いたと手前勝手に考えていた。 「アート、アートだじゃ」
牛で何を連想するだろう。ステーキ?牛乳?それともすき焼きに牛丼? なぜか口に入るものしか浮かばない。
今にして思えばあの日見た牛像はやけにリアルだった。実物大のようで、美術品だったのだ。
牧場で牛が草をはむ光景はやはり夏か秋のイメージ。放牧は少なくとも冬のそれではない。師走に牛像では、せっかくのクリスマスムードが損なわれよう。 気分を変えて後日、丸の内仲通り商店街を歩いた。牛像の代わりのモニュメントがあるのだ。
まず目に飛び込んできたのが下半身が躍動的な「大地が歩く(1990)」(安部千隆作)。歩道の幅が広く、街路樹の脇にモニュメントが設置されていて、歩行の邪魔にならない。むしろ見事なまでに街の雰囲気に溶け込んでいる(写真2)。
「自分にも貸すってさ」
モニュメントを探しながら通りを歩いた。いずれも彫刻の森美術館の所蔵で、見事な作品ばかり。いくつか紹介しよう。
・放たれた馬(1990)=ラド・V・ゴーチャ ビーヅェ作(写真3)※ロシア人
・風と花(1975)=桑原巨守作(写真4)
・闘風(1986)=久保田博之作(写真5)
ちなみにこの美術館は神奈川県箱根町にあり、40年前に国内初の野外美術館としてオープン。ロダンやマイヨール、岡本太郎ら、20世紀を代表する作家の名作約200
点が展示されている。
箱根登山電車の「彫刻の森」駅下車2分。機会があれば訪ねてみたいもの。
担当者に電話で聞いた。丸の内仲通りは不動産企業との契約でモニュメントを10年ほど前から毎年、定期的に入れ替えている。自分を顧客と思ってか相談にのるといわれた。 駅前などにも設置しているようで、要望があれば期間や費用、場所などで作品をコーディネートするという。
レンタルなので時には傷つけられて回収することがあるとか。設置場所によっていたずらが懸念される場合は修復可能な作品を選んで貸し出しし、後で保険で修復するとか。
「来年は主役だべさ」 いやはや。街で何気なく見掛けるこうしたモニュメントも、プロの眼でコーディネートされたのが多いのか。貸し出し状況を詳しく聞かなかったので、あしからず。
それにしてもあの牛像、雄牛だろうか。黒光りしてりりしかった。名
品だろう。妙に印象に残っている。 2008年もわずか。師走の日本列島にリストラの嵐が吹き荒れ、厳しい雇用情勢が年末に暗い影を落としている。派遣切りと称する非正規労働者らの悲痛な叫びが耳に残る。 格差社会。一極集中の度を深める東京はそのスケールメリットから街は多くの人でにぎやか。
夜の銀座。イルミネーションがきらびやかで遅くまで人波が絶えない(写真6)。凝ったディスプレイでクリスマスや年末商戦が佳境に入っており、いくら不況、不景気と騒いでもここだけは別格。悲壮感はみられない。それに比べて地方は…。いや愚痴はよそう。 「牛像は来年引っ張りだこだべね。モー見られないと分がったら余計に見たぐなるな。ひと目惚れだべか。モー一度見たいよ。ウシっ(笑)」
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