東京雑感   タイムスリップしたんだじゃ 2008.5.21

 「野太い歌声だったな」
 本社出張を終えて東京に戻る際、高速バス(ヨーデル号)に乗った。弘前から盛岡まで2時間余り。大鰐弘前インターから東北自動車道に入って程なく坂梨トンネルが現れた。
 そこは旧碇ケ関村(現平川市)地内。青森・秋田県境にまたがる全長4.2`の東北自動車最長のトンネル。バスの最前席に陣取ったので、運転手の頭越しから眼前に照明でだいだいに染まった坑道が広がり、過去の記憶がよみがえった。
23年前だろうか。鈍い爆発音とともに関係者が歓喜の表情で小躍りした。誰彼となく手を握り合って、後に貫通を喜ぶトンネルマンたちの合唱が坑道に響いた。
 
過去に誘うタイムトンネルのようだ

 「その時、吹いたんだ」
 坂梨トンネルは1986年7月30日に供用した。自分は当時、報道部にいて坂梨トンネルの貫通、その後の開通を取材している。
 貫通時、坑内には当時の碇ケ関村長をはじめ建設省の役人、作業員らが詰め、県境付近で閉ざされた壁面の向こう側に秋田県小坂町長らが控えていた。
 「ドン」。両首長が同時にハッパのスイッチを押すと、数秒のうちに秋田県側から風が吹き抜けた。それまで蒸して不快だった坑内の体感温度が一気に下がり、南からの涼風が新時代の幕開けを予感させたものだった。
 
「タフな1日だったじゃ」
 自分は歓喜の余韻に浸る余裕がない。社に戻ってグラビアに本記、サイド、解説を書くのだ。本記、サイドは1面、第1社会面のトップに予定されていてボリュームが必要だったし、プレッシャーを感じていた。
 他社は写真部を含め遊軍がいて多勢に無勢。今にして思えば1人にそれだけのノルマを課すのは酷であろうし、トラブルやアクシデントなど万一のリスクを回避したいと考えれば複数の人員を投入すべきだろう。
 だが当時の自分は上司の期待をバネにしていた。あこがれの先輩は一様に一匹狼的であったし、たとえ同僚でも他人の干渉を好まず、己のポジションを聖域化していたように思う。
 ワープロの導入前でパソコンもなく、ひたすら原稿書きに追われた。午後9時前に最後の解説を終えた。脱稿した際の充実感と虚脱感が快感になり、その後も労をいとわず自分を追い込んでいった。

 「バラ色に思えたけどな」
 時代は国土の均衡ある発展をうたった三全総(第三次全国総合開発計画)から多極分散型国土の構築が目標の次期四全総に期待が高まっていた。
 空港ジェット化や整備新幹線の延伸など、高速交通体系の確立が陽の当たらない(と言い張る)地方にとっては悲願であり、活性化の起爆剤として早期着工、早期供用が叫ばれた。使途が問題になっている道路特定財源は奪い合いだったろう。
 折しも中央ではバブル景気が沸き起こり、坂梨トンネル開通の翌年には余暇時代の到来を思わせるリゾート法(総合保養地整備法)が施行された。
 田中角栄の日本列島改造論とともに地域開発のポテンシャルが高まる中、高速交通網の整備を前提にしたリゾート構想はバラ色の計画として全国で競うようにして青写真が描かれた。

 「地方からの集まりだべ」
 直近の人口推計によると、青森県は140 万人を割り込んだ(2008年4月1日現在、139 万8130人)。自分が現役のころは150 万県民ときりのよい数字だったのに、転出超過で年々減少してはもはや流出県のそしりを免れない。少子高齢化にあって全国有数の高齢県に拍車が掛かっている。

多くの人でごった返すJR渋谷駅前

 国民の10人に1人が住む東京。一極集中の批判をあざ笑うように東京都の人口は右肩上がりに増え続けている。
 若者の街・渋谷駅前の人の多さにはあきれるばかり。密度が濃くて他の街とは明らかに違う。遠くからスクランブル交差点を眺めると、青信号で一斉に動き出す群衆がまるでアリの子を散らしたように見えるのだ。 渋谷の隣の表参道はそれこそ若者であふれている

 「慌てないことだべね」
 そんな雑踏では足を踏み出すのさえ億劫になる。人混みではどうにもならず、先を急いで通行人にぶつかって誤解を招いたり、トラブルになっても困る。
 前に渋谷の道玄坂で通行人を避けて歩道の端々を歩いていたら、街路樹を囲う鉄柵が折れ曲がっていて、すねを傷つけた。
 それからというもの、人が通らない所を歩くと危ないというのが己の教訓になった。下手をして工事用の穴に落ちでもしたらかなわない。
 郷に入っては郷に従えで、そこでは人の流れに身を任すのがいいようだ。時間に余裕を持って行動したい。

 「高齢者予備軍なのさ」
 交通網の整備により国や地方自治体が多額な借金を抱える一方で、国土の均衡ある発展どころか、首都の過密と地方の過疎というストロー現象を招いている現状は皮肉だ。
 いま地方が疲弊している。バイパス建設で大型店舗が郊外に林立し中心市街地の空洞化に悩む地方都市が多い中、今度は郊外の不採算店舗が閉鎖、撤退するという事態が起きている。これでは消費者はたまらない。
 自分も定年まであと数年。会社人生のゴールが近い。来るべく超高齢社会において買い回り品など必需品を近場でまかなえるのか。現状ではガソリンがばか高く、健康のため極力歩きたいとは思うが、荷物を抱えての歩行、行動範囲には限界があろう。
 先々を想像したくはないが、年金暮らしで後期高齢者の母を思いながら、つくづく暮らしにくい世の中になったと寂しさを感じる。

 「視力が落ちているんだ」
坂梨トンネル上り車線の入り口


 冒頭の坂梨トンネルに戻るが、バスの車内で自分は身を乗り出してあるものを探していた。
 それは県境を示すランドマーク。上下線にあり、開通時の取材で県境の目印に設置されたのを見ているのだ。記事にはしなかったので、知っている人は少ないはず。トンネル検査路下の大型車のタイヤの高さあたりにグリーンのタイルで「AOMORI」と青森の地形が表示してあるのだが、見つけることができなかった。
 長く疑問に思っていたことがある。それは県境なのに青森だけで秋田の表示が記憶からそっくり抜けているのだ。
 そこで関係機関に尋ねた。何カ所か電話し、坂梨トンネルがNEXCO東日本十和田管理事務所の管轄と分かった。で、疑問をぶつけたらすぐに調べてくれて、県境を挟んで秋田のもあるという。お隣のは本県同様グリーンのタイルでアルファベット、グリーンに白抜きで秋田県のマークなのだとか。
 「タイルのグリーンの色がくすんでいるとか。そんだべね。記憶が薄れるわけだ。それより十和田管理事務所で応対した人が弘前から通っていて、東京雑感を読んでいるとか。大高さん、ファクスありがとう」
                                       
万年青年Y
 

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