東京雑感   春だなぁ。ようやぐ 2008.3.18

 「歌いたぐなるよ」
 ♪春のうら〜らの隅田川―。
 三寒四温。2月は風が冷たく寒い日もあったが、さすがに3月ともなると陽光に力強さを感じる。
水ぬるむ隅田川。川面を伝う風が心地いい


 ここは隅田川。川面が流れる様にまかせて光輝いている。
 過日、天気のよい日に隅田川に出掛けた。春の妖精に導かれるように勝鬨橋を目指した。銀座から築地へ。築地本願寺を左に見て、まるで夢遊病者のように頼りなげに人混みを避けて向かった。
 午後になって気温が上がり、隅田川ほとりの遊歩道には散策するお年寄りやカップル、ウオーカー、テラスで長いすに腰を掛けているOL風の女性など、誰もがうららかな陽気を満喫しているよう。
 冒頭に歌われる隅田川は、下町を流れる東京の象徴的な川で、夏の花火大会(毎年7月の最終土曜に開催)は下町界わいが見物人でごった返す。水上バスも運行されており、水がぬるんでくると乗船客で桟橋は活気が出てこよう。
 銀座から歩いて15分足らず。コンクリートジャングル、街の喧噪から逃れた安堵感に加え、水面を走る風は冬のそれとは明らかに違って優しさに包まれているようで居心地がいい。まさに陽春。

 「東京も寒かったんだ」
 この冬は東京も寒かった。暖冬だった昨冬は防寒着をはおることもなく、マフラーでシーズンを通したから「東京の冬なんてこんなもの」と高をくくっていたし、雪国出身で寒さに強いと勝手に思い込んでいた。
 それがどうだ。オーバーに1度袖を通したら手放せなくなった。2月の初めだったが、東京で2年ぶりに積雪を観測し、自分はといえば風邪をこじらせ、数日寝込んだ。
 5センチ程度の積雪で「首都圏は2年ぶりの大雪」との報にはあ然としたが、現実に交通網が寸断され、転んで多くの負傷者が出ては笑うことができなかった。溝のないソール(靴底)では東京といえども雪道は危ない。
 下旬には春一番が吹き荒れた。それも2日連続で。ちょうど上野精養軒での唄会の取材で上野公園を通ったら、無残にも木々の枝が折れてあちらこちらに落ちていたし、電車が遅れて開演時間になっても来賓が到着しない。
 都会生活は便利な半面、気象に影響されやすいことを痛感させられた。

 「開がないんだよ」
 隅田川に戻ろう。川べりの開放的な気分は格別ではあったが、自分は勝鬨橋の美しさに引かれた。
 双葉跳開橋といって、日本では珍しい可動橋。1940年に完成し、3,000トン級の船舶が通航するのを視野に入れて設計、建設された。
跳開するアーチが特徴の勝鬨橋


 日露戦争の旅順攻略で勝利した記念に勝ち鬨の名称がつけられた。「エイ、エイ、オー」というあれだろう。軍国化のうねりの中で、橋梁建設に対する期待の大きさが感じとれる。
 長さ246メートル、幅22メートル。2つの鉄のアーチが70度開閉する。電動で1日5回、約20分間船を通していて、橋の可動見たさに多くの見物人が詰めかけ、東京名所の一つだったらしい。
 東京湾が目と鼻の先の河口部に架かる橋で、建設当時は航行する船舶が多かったが、モータリゼーションの発達に伴って水運がすたれ、1970年以来閉じられたままになっている。
 だが、往時をしのんでも現実は刻一刻と時が過ぎ、止まることはない。往来にはそんな過去に関心がないかのように無表情に人が通り、車が行き交う。
 
 「夏場は夜いいべな」
 橋に限らないが、その時代時代で技術の粋を集めて造ったモノは美しく、時には輝き、歳月を経るほどに異彩を放つように思う。
 勝鬨橋は昨年6月、隅田川上流の清洲橋、永代橋とともに国の重要文化財に指定された。都道府県の道路橋では初の重文指定で、資料館もあることから興味のある向きには現地に足を
東京湾が近くカモメの姿も
(勝鬨橋そばの水辺で)
運ぶことをお勧めしたい。
 ところで隅田川に架かる主要な橋はライトアップされている。ちなみに勝鬨橋は緑と青、重文指定の清洲橋がピンク、永代橋は青。色の理由は分からないが、変化に富んでいる。
 気温が上がれば川辺の遊歩道を散策するのは気持ちがいいだろうし、桜も見られるだろう。
 「銀座から近いんだけど、気持ちや時間に余裕がないと足向がないよな。川を見ながら深呼吸したら気分いがったじゃ」。
                                       
万年青年Y
 

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