東京雑感   思い入れのある本なんだ 2007.10.30

「よぐ読めるやな」
 読書週間(27日―11月9日)。都内の主立った書店は混雑している。流行作家やベストセラー情報などに敏感で、本一冊を選ぶにのにも貪欲気がする。
 東京に来てからというもの、通勤電車でサラリーマンやOLが小説を読んでいる光景を日常的に目にする。ブックカバーをつけているので、タイトルは分からない。
 一方で立ち読みする人。混み合う車内で本を読むスペースを確保するのには恐れいる。本が自分の顔の付近だったり、背中に当たったりするのは不快で、眉をひそめたり、背後の時は揺れに乗じて体で本を押しやると、相手に伝わるのか、少しだけ向きを変えるとか読むのをあきらめるとか気を使うようだ。
 もっとも混雑度120 %、押しくらまんじゅう状態の時は立ち読みなんかできる状況にない。仮にそれでも読めるのなら、敬意を込めて心からの拍手を送るだろう。
 どだい読書に集中できるわけがないと思うからだが…。

 
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「いろんな人いるじゃ」
 自分も取材に必要な資料や県人会の関係者から贈られた本を車内で目を通し、読むことはある。それは必要に迫られているからであって、好んで車内で読みたいとは思わない。ましてや立ち読みなどとんでもない。
 通勤する田園都市線と銀座線は混むので座るのは難しい。ただ朝は表参道駅で乗り換えする銀座線からどっと乗客がはき出されるので、それを乗り過ごして次の電車待ちの列の先頭集団に並べば座れる確率はぐーんと高くなる。読みたい時に何度かやった。
 でも読書に没頭すればしたで降り損なって慌てて降りることも。だから途中駅を確認するので集中できない。たかだか20分足らずでの移動では読む行数なんてたかがしれている。
 都会っ子は時間を有効に使うすべを知っている。本ばかりではない。新聞はもちろん、仕事か何かのリポートや専門書に目を通す会社員やOL、問題集や参考書などを手にするのは明らかに学生や予備校生と分かる。

「若(わが)がったよ」
 文学とはおよそ縁遠い自分だが、いまだに感謝していることがある。昔、むかしの出来事で、とうに時効だから迷惑にならないだろう。
 それは大学入学で上京する時のこと。父と弘前駅に着くと、中学のクラスメートの女子2人が見送りにきていた。当時は寝台列車が主流で、1週間ほど前にあった同窓会で尋ねられ、上京する日と乗り込む列車を明かしていた。
 父は少し離れた場所から複雑な表情で見て見ぬふりをしている。自分は平静を装いながらも、かたまった様子の父を見て赤面した。

 「感謝しているんだ」
 東京で下宿に入り、父が去った後に部屋で荷物を出したら、紙袋に単行本が2冊入っていた。伊藤左千夫の「野菊の花」と武者小路実篤の「友情」。
 下宿は3畳一間。机と衣装ケースを置けば床を敷くスペースしかない。文学にさして興味はなかったが、息苦しさと寂しさから、しばらくたって「野菊の墓」のページをめくると夢中になりむさぼり読んだ。「友情」もそうだった。
 2冊とも当時の女子中高生が好みそうな純文学の名作。感動で体を熱くし涙した。
 都会の圧倒的なパワーに臆してひきこもりがちな時期だっただけに、癒やされたし感謝したものだった。
 
 「誰だが分がらないんだ」
 それはその後も続いた。夏休みの終わり。やはり上京する際に、駅にまたその2人が見送りに来た。本の礼を言おうにも、示し合わせたようしてとぼけられた。
 それで下宿に戻ると、荷物にまた本が紛れていた。記憶があいまいで、2冊か3冊だったか。
 覚えているのは北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」。表紙の次の項に青インクの万年筆か何かで「ヤギちゃんへ」と書かれていた。
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 これらの本は著名作家の代表作には違いないが、1度目と2度目とでは明らかにジャンルが違う。本をくれたのが2人のほかにもいるのではないかと考え、クラスで文学少女だった何人かの顔を思い浮かべもしたが、詮索しないままに今日まで時が流れた。

 「処分でぎないじゃ」
 孤独から救ってくれたこれらの本は、今も実家の自分の部屋の書庫で眠っているはず。思い出の詰まった本はもう読むことはないと知っていても、捨てられないものだね。
 学生時代は推理小説にはまった。ヴァン・ダイン、エラリー・クイン、F・Wクロフツら海外ミステリー作家の古典的な名作を読みあさった。
 秋は物憂げでセンチになる。今さらなぞ解きをしても始まらないが、会って礼を言いたいと思うのと、思い出を大切にしまっておきたいという気持ちとが交錯する。
 2人に礼を尽くしたろうか。仮にほかにもいるなら自分はまだ礼を言っていない。
 「誰がらも聞がれないからいいけれど、自分の人生で感銘を受けた本は何かと尋ねられれば、迷わず言うよ。贈り主の分がらないこれらの本だって。ありがとう」
                    
万年青年Y
 
※画像1 支社の書棚には寄贈本が多く、本が2列に収められている
※画像2 駅のホームで本を手にするY(地下鉄銀座線の銀座駅で)

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