東京雑感   ケータイと待ぢ合わせ場所 2007.9.28

「使いこなせないじゃ」
 携帯電話、PHSの普及は目覚ましく、保有台数1億台というから国民1人にほぼ1台の割合。技術開発も日進月歩で、若者が競うように多機能の機種に更新してはモバイル文化を享受している。

 朝夕の通勤電車でケータイを手にする人を見ない日はない。待ち合わせ場所ではケータイが威力を発揮し、若者たちが通話やメールで連絡を取り合っている。 
 県人会の人が言っていた。今時の子はメールをする際に用件を区切ってやりとりするのだとか。例えば「今どこなの」「間もなく電車に乗る」「あとどれくらい」「10分くらいかな」「じゃ待ってる」「わかった」…。いったい何度メール交換するのだろう。文章化しないらしい。

 ケータイ小説が若者の間で大流行している。センテンスが短く、情景描写など一切なく口語体でストーリーが展開される。いわゆる純愛もので、口コミで若者の間にあっという間に広がって、作者である20代の若い女性がベストセラー作家になるのだから驚く。こうした機能を使うことがない自分は、もはやついていけない。
  
若者らの出会いを見つめ続ける
渋谷駅の忠犬ハチ公像


「やっぱり忠犬なんだ」
 自分が学生のころの待ち合わせ場所といえば、渋谷の忠犬ハチ公像が思い浮かぶ。渋谷駅経由で出掛けることが多かったからだが、昨春、31年ぶりにハチ公を見た時に何かしら違和感を覚えた。
 たばこの分煙化を進めている渋谷区がハチ公のそばに喫煙所を設けており、愛煙者が群がっている。時の流れとはいえ、ハチ公が戸惑っているようにも思えた。

 そればかりではない。調べると、自分がいたころのハチ公は駅前広場の中央に鎮座していたが、1989年に広場拡張に伴い、現在地に移転。その時に像の向きを北から東に修正していた。
 違和感はそれだった。ハチ公周辺の様子は一変し、昔の面影がまったくない。改めて歳月の重さを感じながら、あすからの東京支社勤務、都会生活に不安を覚えたものだった。

 最近たまにハチ公見たさに若者に交じってそばの喫煙所を利用する。以前、ライターを持っていなくて、隣の女性に火を借りようとしたら、バッグの中のライターを探し続けた末に「これどうぞ」とかわいいライターをのべた。
 自分は彼女のたばこ火でよかったのに、せっかくだから「いいんですか」と好意に甘えた。礼を言って立ち去る時にハチ公がしっぽを振っているように思えた。
 
 「銀座のライオンもいいよ」
銀座のライオン像は中高年に人気の
待ち合わせスポット

 銀座で待ち合わせ場所の一つに、三越の玄関脇にライオン像がある。
お世話になっている某支社長に、ライオン像を待ち合わせ場所に指定された時のこと。
 銀座という土地柄、落ち着いた感じの中高年が多い。ライオン像から5、6b離れてたたずむダンディーに装った中年男性に、同じくらいの年齢の女性が駆け寄った。うれしそうな表情で所在なげに男性のネクタイをただす女性、見つめられて照れる男性。ほとんど言葉を交わさず人混みにまぎれていった。

 恋人、いやご夫婦かもしれないが、ロマンチックな出会いの光景だった。ケータイ全盛の昨今、合コンなどではケータイ番号を交換し合ったり、気に入った相手から番号とメールアドレスを聞き出せるかで一喜一憂するらしい。
 昔は住所や家の電話番号だったのにね。手紙で思いを伝えるのは古くさいだろうか。恋文にどうしようもなくロマンを感じ、胸を高鳴らせた世代なもんで。
 「電報もやってみれって? おんじちゃ、それいつの時代だして」。
失礼!美輪明宏さんの自宅じゃないかと前にブログに書いて以来、時々霊が憑依するのです。今のは父方の祖父。「東京で待ち合わせるんだば上野の西郷隆盛の前が一番だって? おんじっちゃ、わがったはんで」。
           
万年青年Y
 

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