「小さいどきの記憶」
大東京。再開発で都心に新名所がいくら誕生しても、自分の中では東
京タワーこそが東京のシンボルなのであって、それは幼少のころから憧憬の対象として、長い時間をかけて少しずつ膨らませていったように思う。
わが家には以前、東京タワーのグッズが数多くあった。父が東京出張の土産で買ったものだが、それらは生活が豊かになるにつれ、次第に記憶の端から消えていった。家の建て替えもあったし・・・。
サイドボードに金メッキの東京タワーのミニチュアが置いてあって、似たような銀色の置物が自分の玩具箱にも入っていた。そういえば部屋にペナントを張ったことがあったっけ。
ウオータードームというのか、振ると水の中で金や銀色の箔が模型の東京タワーを覆い、あまりのきらびやかさに目を見張った。何歳のころだったろう。
「兄弟げんかしたな」
東京タワーの開業が1958年(昭和33年)。当時の自分は5歳。
モノが不足していたとはいえ、東京タワーの土産を何度も見せられて幼少の自分が喜んだのだろうか。それは一時のことであって、本当は父が好きだったのではないかと考えたことがある。
今なら理解できる。結論から言えば、父が好きだったということ。
喜々とした表情で東京タワーの土産を手渡す父に、幼い自分も同化した。子煩悩だったから息子の喜ぶ顔見たさに、また自身の思い出の証として、出張のたびにグッズが増えていったのだと思う。
時代が時代だけに、無理もなかった。
学徒動員で父は兄たちをしのぐ階級、海軍少尉で南方に出兵。生還して平穏な家庭を望む父の思いを幼い自分は知るよしとてなく、弟とけんかをするたびに「兄弟仲良く」と叱責された。
父にしてみれば金、銀色に輝くミニチュアは先々の安寧と家族の無事を願う、希望の象徴だったのかもしれない。
「高さ世界一だものさ」
高さ333 b世界に誇る電波塔の完成は日本の技術力を内外に示すとともに、戦後の復興というそれまでの重苦しい時代を忘れさせる画期的な出来事として、日本中の話題をさらったことは想像に難くない。
以降、テレビの普及は加速度を増し、東京オリンピック開催を契機とした戦後空前の高度成長へと突き進んでいく。
ご承知のように、一般家庭では白黒テレビとともに三種の神器と称された冷蔵庫、洗濯機が必需品になり、科学技術の進歩とともに目標である欧米のような文化的な生活を享受するのだから。
「そして今(ようやぐ)」
6年ぶりに階既月食が観測される8月29日の夜、東京タワーの大展望台にいた。雨雲に覆われてはいたものの、降り出す前だったので夜景を撮影できた。
東京に赴任してから3度目の入場になるが、東京のパノラマは何度見ても飽きず時間を忘れさせてくれる。
この日は夜半から雷雨の予報だった(実際ものすごい豪雨だった)ので早々に切り上げたが、6月に訪れた時には明るいうちから暗くなるまでを展望カフェで過ごした。薄暮時には高層ビルが夕焼けで金色に染まり、手が届くような身近さで目の前に広がった。
個々のビルも単独で淡い照明の光を放つ。それが時間の経過とともに光の強度を増していき、刻一刻と変わる幻想的なトワイライトシーンには心を奪われた。
「ブームが続いているんだ」
昨春、東京見物で上京した妻と六本木ヒルズから東京タワーに足を延ばした。自分は中学校の修学旅行以来だったが、平日にもかかわらず混雑していて驚いた。
リリー・フランキーの小説「東京タワーオカンとボクと、時々、オトン」がベストセラーになり映画化されたし、その前には映画「ALWAYS 三丁目の夕日」や黒木瞳主演の「東京タワー(tokyo tower)」が話題を呼び、ブームが続いているようだ。
運営主体の東京電波塔株式会社によると、平成18年度の入場者数は約320
万人。前年度は約272 万人というから、近年にないほど盛況だったことがうかがえる。
「父さん、ありがとうっ」
都内に新名所が誕生すれば展望台からの見どころも増えるわけで、南にお台場、レインボーブリッジ、西北に六本木ヒルズと東京ミッドタウン、北からは新宿副都心が望める。
父が亡くなって26年。生きていたら82歳になっている。開業当時はどんな景観だったのだろう。高層の建造物は少ないだろうから関東平野が見渡せたろうか。
東京タワーは来年、開業50年を迎える。眼下に広がる現在の光景を見たら腰を抜かすに違いない。
昨年11月、東京墨田区押上に建設される新東京タワーのデザインが公表された。高さ610
bの地上デジタル放送用の電波塔で、来年着工し2011年半ばの竣工予定になっている。
完成すれば東京タワーが用済みになるのか、素朴な疑問を東京電波塔株式会社にぶつけた。入場者数を尋ねた際にガードが堅かったので、新聞社なんだとプッシュした。そうしたら「よく聞かれますが、(東京タワーが)なくなることはありません」とのこと。
「よがった。お父さんの思いが詰まった東京タワーだものね。この前、娘と行ったんだ。生きているうぢに孫の顔を見せられなくて…。成長しましたよ」。
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