東京雑感   国際派になれないじゃ 2007.7.30

  「TOKYOなんだ」
 都会の雑踏。街は往来する人で活気にあふれ、汗ばむ夏場は人混みにまぎれるだけで疲れやストレスを感じる。
 知る人とてなく視線を宙にさまよわせて歩いていたら、支社とビルが

終日、人波が絶えない
銀座4丁目の交差点
一緒の会社のお偉いさんに呼び掛けられて我に返った。暑さにかまけてばかりもいられない。
 改めて周りに視線をやると外国人の何と多いこと。観光や就労、留学、事情はさまざまだろうが、街角やデパート、地下鉄の車内などで見かけるし、聞き慣れない言葉を耳にするたびに思う。ここは世界の主要都市TOKYOなんだと。

 「気になるんだな」
 大使館が散在する六本木周辺、老舗デパートや高級ブランド店が林立する銀座界わいでは特に外人が目立つ。でもグローバルな今日の社会を反映して、好奇の視線を浴びせる人とていない。
 人、モノすべてが新鮮に映る田舎者の自分にはそれがちょっとしたカルチャーショックで、失礼とは思いながらも見て見ぬふりをするのがつらい。駆け出しのころから身についた野次馬根性を抑えられないのだ。
 コーヒーショップの狭い階段で金髪の女性と鉢合わせした。先を譲ると通りすがりに「ソーリー」と聞こえた。
 とっさのことで言葉を返せなかったが、耳元でささやくような小声が妙にくすぐったかった。マナーが大切と反省しながらも、忘れかけていた日本人の奥ゆかしさみたいなものを彼女に感じた。
 
 「世界共通語にどんだべ」
 東京都が招致をする2016年のオリンピック開催の青写真。晴海へのメインスタジアム建設、築地市場の清洲移転、跡地へのメディアセンター建設など膨大な投資に渋面する向きもあるが、今後の招致活動の盛り上がりとともに都民の、国民の意識も高まっていくであろう。
 ところで「ソーリー」に対して、日本語で「どういたしまして」と応えるのはどうだろう。
 言葉が分からない相手には通じないだろうが、オリンピックが実現したらそれを「もったいない」のように国際共通語にできないか、とふとよぎった。日本人の心を端的に表すよい言葉と思うが、どうだろう。

 「いろんな人いるじゃ」
東京に赴任したころは、見慣れないせいで地下鉄の車内で英字新聞を読む乗客に目を奪わ

銀座の中央通りで目についた
ディスプレイ

れた。もちろん日本人。何人か記憶にあるのは、いずれも20代後半から30代くらいの比較的若い世代。商社の社員とかIT関係だろうとか、職業を勝手に想像したもの。
 そういえば、出勤前の電車では経済紙を手にする人が結構いる。株式投資をしているのか、女性が熱心に目を通すのにはただただ感心するばかり。
 時には外人が団体で乗り込んでにぎやかに会話するなど、彼(彼女)らも周りを気にするでなく本当に明るい。
 日本人と外人のカップル、あるいは同僚、友人同士が英語で会話したり、日本人と思いきやハングル語で話して韓国人と分かるなど、国際色を感じることも。

 「外人と友達になったんだ」
 自分は英会話がだめでコンプレックスがある。前任地の黒石支社時代、黒石市にこけしを買い付けにきたアメリカ人男性と弘南鉄道の最終に乗り合わせ、弘前駅に着くまでの約30分間、車内で話し込んだことがあった。
 サンフランシスコで民芸品輸入と出版を手掛ける会社のオーナーで、過去に何度か黒石市を訪れ、地元のこけし工人らにジェフの愛称で親しまれている。
 短い時間だったとはいえ、ジェフと打ち解けたのに満足して家に帰り、妻にそのことを話してきかせると、平然とした顔で「日本語が話せるアメリカ人なんでしょう」だって。 これまで妻の前で非力な語学力を披れきする場面がなかったから、少しは驚くと思ったが、見透かされていた。
 それなのに、覚えたての横文字を使いたがるのはどうしたことか。「やっぱし、ええふりこぎなんだべね」。 
万年青年Y
 

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