東京雑感   輝いでいたあのころ 2006.11.27
レストランがあった付近。車の往来は渋滞する
でもなく、昔と今もそんなに変わらない。
「卒業前までいたんだ」
 過日、世田谷の用賀に行った。
東京暮らしに余裕が出てきたせいか、学生時代にウエーターのアルバイトをした郊外レストランがどうなっているのか、確かめずにはいられなくなったのだ。
寒くなって出掛けるのが億劫になってからでは後悔しそうで、天気のいい小春日和に訪ねた。
 
店の場所は分かっている。環状八号線と東名インターが交差する辺りで、ドライブインとしては当時、最高の立地条件にあった。
「東名エイト」というのが店名。自分はそこに大学を卒業する前まで10カ月ほど通ったので、用賀周辺の地理は分かっているつもりだった。
 
「こご用賀だって?」
用賀のシンボル
世田谷ビジネススクエア


 それがどうだろう。昔はバスだったが、今は東急田園都市線が走っているので地下鉄で行ったら、用賀駅は27階建ての世田谷ビジネススクエアと連結し、改札を出た途端に重厚な雰囲気が漂ってくる。周囲に高層の建築物がないだけに、タワーのような外観はシンボリックで、駅前の大型雑貨店などと相まって良好な居住環境が見てとれる。
 スクエアのパブリックスペース(地下2階、地上2階)にはレストランにコンビニ、ブックショップ、ファーストフード、郵便局などが入っているほか、周辺に美術館などの公共施設が張り付き、都心へのベッドタウンとして見事なまでに変貌を遂げている。 


「この辺りなんだばって」
 首都高速が走っているので迷うとは思わないが、自分は方向音痴で遠回りをすることがあるので、念のため駅前の交番で確認して目的地に。目指す「環八東名入り口」は駅から7、8分のところにあった。で、レストランはなかった。予想はしていたものの、「ひょっとしたら」との淡い期待もあっただけに、現実を目の当たりにして一抹の寂しさを覚えた。
昔はバイパスが見通せて、
夜間は車のヘッドライトが
美しかった
(コーヒーショップ2階から)
 東名と環八との交差地点から、ゴルフショップとコーヒーショップがある辺りだと見当を付けた。
 コーヒーショップに入った。はやりのセルフ形式で、2階の窓際の席が一つだけ空いていた。感じのいい老夫婦、物思いにふける若い女性、後ろでは主婦たちの笑い声やテラスにはカップルの姿も。店の窓は細長く、壁が遮ってバイパスが一望できない。

 「楽しがったや」
 30年以上も前になるが、昔は店内が暗くなるとキャンドルにろうそくを灯して各テーブルに置いた。バイパス側は一面ガラス張りのシースルーで、外からほのぼのとしたキャンドルの灯が映えるので、窓際の席は特に人気があった。
 混み合うことが少ないので穴場でもあったらしく、時には有名人が来店した。テレビ番組「太陽にほえろ」の刑事役で、殿下こと小野寺昭さんがファミリーで訪れた。子煩悩な小野寺さんが当時男性には珍しい茶髪だったこと、また映画俳優の川地民夫さんが砂糖をこぼして慌てた様子が思い浮かぶ。
 蝶ネクタイの自分。雨の夜、女優を傘で車までエスコートしたこともあったっけ。

 「落ち着くよな」
 帰りしな見たしょうしゃな小住宅の数々、落ち着いた街並みには心がときめいた。駅前の雑貨店には駐輪場スペースが確保され、平日なのに午前中から主婦やお年寄りがのんびりと買い物を楽しんでいる。
 そこには都会の雑踏や喧噪(けんそう)、ごみごみした雰囲気が微塵も感じられない。住まいから近いし、気が休まるのでちょくちょく来ようかな。「用賀がこうしたにいい所だって知らなかったじゃ」。
万年青年Y

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