「動がねば寒(さみ)いじゃ」
プロ野球はシーズン最終盤。この時期のナイター観戦はじっと座っていては底冷えしてくる。両リーグの覇者が決まった。古田監督率いるわが東京ヤクルトスワローズは来季に向けて巻き返しが期待される。
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「今夜もまいねけど、楽しまなくちゃ」
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日ハムがリーグ優勝を決めた夜、神宮球場のライトスタンドにいた。
試合はヤクルトが6回までに11点を献上し、奇跡でも起こらない限り逆転は不可能。
それでも熱烈なツバメ応援団、ファンがメガホンなどを打ち鳴らして声援を送っており、ホームランが出ようものなら、今度は「東京音頭」にのって小道具のミニ傘が躍る。寒いのだが、試合の臨場感とともにファン同士の心のふれあいを感じることができて居心地がいい。
「勝負は時の運だけど…」
東京での楽しみの一つに野球観戦があった。
前身である国鉄スワローズ時代からヤクルトファンを40年余りやっていて、住まいを渋谷に程近い所に決めたのも神宮に近いことが決め手になっている。
ところが、自分にはトラウマがあって気軽に試合観戦に出掛けられない。
昭和48年だったが、親友と行った後楽園球場での巨人戦。ヤクルトはエース松岡弘が絶好調で三振や凡打のヤマを築く。打っては毎回のように塁上をにぎわすが、なぜかあと1本が出ない。ちなみに巨人の投手は前監督の堀内恒夫。まさしくエース同士の対決だった。
0−0のまま巨人の攻撃も9回裏2死。
これまでノーヒットに抑えている松岡の出来からして延長に入ると思った矢先、巨人唯一の安打がサヨナラ弾となってライトスタンドに飛び込んだ。赤い手袋で一世を風靡(ふうび)したスイッチヒッター柴田勲の左打席での一発。ヤクルトには悔やまれる敗戦だった。
「熱くなってさ」
小6のころから主にラジオでヤクルト戦の実況を聞いて(巨人戦はテレビ中継があった)、勝て
ば翌日にスポーツ紙を買いに走ったヤクルト大好き少年にとって、生涯初めてのナマ観戦だった。
それがあまりにも劇的で呆気ない幕切れに、3塁側のジャンボスタンドに陣取っていた私は自制心を失った。「バカヤロー」と叫び、座布団を放り投げたのだ。その時の隣にいた親友の驚いた顔は忘れられない。
座布団投げは大相撲での番狂わせや大一番を思い出していただきたい。球場で座布団が乱れ飛ぶ様はやはり圧巻。帰り際に座布団を返却すればキャッシュバックがあって、球場を出て「しまった」と悔いてはみたが、それも後の祭り。
「勝てないじゃ」
そんな学生時代の苦い思い出から、今季はヤクルトが勝ち運に乗ったころに応援に行こうと決めていた。
セパ交流戦も後半の5月下旬、ソフトバンク戦。連勝してロッテと交流戦1位を争うまでに上昇気流にのったヤクルトだったが、結果は相手エース斉藤和巳に抑えられて完敗。おまけに終盤、降雨にも見舞われた。
まるで悪い夢でも見ているように、これまで観戦した神宮、東京ドーム合わせて3試合とも負け試合。ほかにチケットが手に入って2度観戦する機会があったが、雨や台風で中止になっている。
「来年こそ勝つど」
決して卑屈にはなっていない。
今季、応援に出掛けて未勝利に終わった悔しさ、思いのたけを来季にぶけたい。
自分が行くと勝てるようなジンクスを見つけたい。来年ヤクルトが優勝戦線に残っていようものなら、「いない時は神宮さ居るど思ってけへ」。
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