東京雑感 2006.4.12

着任して1週間がたって東京暮らしにもいくらか慣れ、生活に余裕が出てきた。
順応性があるのか、否、田舎者とさとられないようにしながら、何年も前から住んでいる顔をして銀座を闊歩(かっぽ)している。
 
先週末に学生時代に過ごした土地を31年ぶりに訪ねた。
世田谷の一角だが、卒業と同時に離れて、これまで訪ねる機会がなく念願だった。住まいを渋谷から程近い所に決めたのも、学生の時の土地勘があったためで、東京での最初の休日に満を持して出掛けた。
 
だあったじゃ!」。
大学3、4年に住んだ4階建てのアパートを見つけた。
入った時は新築だったから残っていて不思議ではない。1階の喫茶店は今はないようだ。土曜なのにシャッターが下りている。自分が住んでいた3階の階段手すりに無頓着に古着などが掛けてあってだいぶ汚い。
 
部屋の前に立った。「305号」。
部屋は4畳半で、ドアを開けると入り口脇にキッチンがあるはず。部屋の窓を開けると目前に首都高速が迫ってくる。下は国道246号。上も下も車の往来で轟音だったのを思い出す。学生の身分でエアコンや冷蔵庫もなく、夏場は騒音を覚悟して窓を開けなければ暑くて居られなかった。
 
次に入学当時にお世話になった下宿を訪ねた。6、70のおばさんが6人の学生の食事を賄っていた。ところがあるはずの場所にない。近くにあったとんかつ&カレー店が居酒屋になっており、この辺りに間違いはない。確か娘婿が公務員で、下宿業は老夫婦の道楽みたいな感じでやっていたから、息子夫婦の代になって下宿をやめたのだろう。
「お世話になったじゃ。ありがとね」。   
 
この後、近くの公園に足を向けた。ジョギングをする人は当時もいたし、あまり変わった印象がない。野球場から応援の太鼓や歓声が聞こえたし、球技場では女子ホッケーの試合が行われていた。少し先に陸上競技場がある。当時はテニスがブームで、競技場の外壁で壁打ちをした記憶がよみがえった。
 
雨がしたたり落ちてきて、大学のキャンパスに入らないで駅に向かった。
学生時代の4年間、渋谷までの移動手段はもっぱらバスで、国道246号下のどこかで地下鉄工事のつち音が響いていた。それも昼夜を問わず…。卒業して何年か後に地下鉄が開通したと風の便りで聞いた。
 
今は大学前に駅があり、学生たちも通学に余裕が持ててか、みな落ち着いて見える。
「あのころさ戻れるもんだら、戻りてな」。 
 
万年青年Y

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