東京なりゆき通信2016 vol.8 毛越寺 2016.5.16

  念願かなってこのたび、岩手・平泉の毛越寺を訪れることができました。そう、世界文化遺産に登録されている奥州平泉です。平安時代後期、藤原清衡、基衡、秀衡の藤原三代がおよそ100

まずは毛越寺本堂へ
年にわたって築いた平泉文化。以前、中尊寺を訪れた時は時間がなくて毛越寺に寄ることができませんでした。以来、ずっと気になっていたのです。

 「百聞は一見にしかず」とはよく言ったものです。平安の時代、みちのくの地にこれほど見事な浄土の世界が作られていたとは。本堂に参詣し、大泉が池を臨むと、あまりの絶景に声も出ませんでした。津軽弁でいう「あずましい」平和な空間がど〜んと広がっているのです。戦(いくさ)だとか、政(まつりごと)だとか、そんなことはどうでもいい。ここでお日様を浴びながら時を過ごせるならどんなに幸せだろう。つい、そう思ってしまいました。

なんという平和な光景でしょう。これが大泉が池です。

大泉が池をもう1枚

 藤原氏が目指した浄土思想に基づく理想郷。結局は源義経をかくまったことで兄の頼朝に滅ぼされてしまうのですが、それでも、この地に100年、こうした文化が続いたというのは素晴らしいことです。藤原氏を滅ぼした頼朝、後世は当地を納めた仙台伊達家によってある程度保護されたことで、この史跡が世界遺産として残ることになったと言えます。財力、武力をもってすれば日本を統治する存在になったかもしれない藤原氏。ですが、求めたのはあくまで平和。その高い理想を頼朝も伊達政宗も評価していたのではないでしょうか。

 宝物館で興味深い資料を見ました。松尾芭蕉は平泉に入り、すぐさま「まずは高館へ」と言ったそうです。高館は追い詰められた義経が自害し亡くなったとされる場所です。そこへ赴き詠んだのが「夏草や 兵どもが 夢の跡」。藤原氏、義経と頼朝、そして平泉に関わった全ての魂を包み込んだ芭蕉の名句に、あらためて心が震えました。

 高速は混んでいましたが、いやあ、毛越寺を訪れることができて、本当に良かったです。

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