東京なりゆき通信 vol.9  なりじぃ、故郷に帰る 2015.9.29

 シルバーウイークに里帰りしてきました。私にとって東京はまだちょっと暑かったのですが、新青森駅に降り立った瞬間感じた秋の気配と肌寒さはなんとも言えぬ心地よさ。そのまま夜汽車に揺られ弘前へ。秋祭りはあるし、弘前城天守の曳屋(ひきや)も見たい。何よりも今年1月11日に生まれた孫に会わねば。今回は、東京を離れた東京なりゆき通信・番外編「なりじぃ、故郷に帰る」をお送りします。

 妻の実家は下北の川内。秋には「川内八幡宮例大祭」があります。住民にとっては地域最大の祭りです。お盆に帰省できなくてもこの祭りには帰るというほど住民に愛される祭り。町会ごと

川内祭りの山車。
運行は深夜、未明まで続きます。

に山車が出陣し、町内を深夜まで練り歩く。一戸、一戸にはそれぞれ家紋などが入った大きな提灯が下げられ、町全体がお祭りムード。最近は花火も打ち上げられるようになりました。

 わが家では祭りの見学はもちろんですが、おばあちゃんが「食べさまい、食べさまい(食べなさい、食べなさい)」と振る舞ってくれる料理が楽しみ。魚どころとあって刺身、煮魚、焼き魚、野菜や山菜の料理がずらりと並び、この日ばかりは体重が増えるのも気にせず、ついつい食べ過ぎてしまうのです。親戚のおじさんは「津軽衆よ(そのおじさんは今でも私を津軽衆と呼びます)、ホタテは買って食うもんでねや」が決まり文句。今回も同じせりふを言いながら、炭火でホタテ、サザエを焼いてくれました。おかげさまで存分に海の幸、山の幸を楽しんでまいりました。

 魚肉ソーセージとモヤシが主食(料理が簡単なので)の東京生活を思えばまさに天国。満腹は眠気を誘い、ひと休みしたら近くの温泉へ。露天風呂、サウナもあって、こちらも大満足。しかも祭りというのになぜか温泉はほぼ貸し切り状態。いやあ、ゆっくりくつろげました。

 さて祭り。昼の運行もにぎやかで活気がありますが、夜はねぷたのように灯がともり幻想的。最終日、5台の山車は八幡宮に集結し、最後はある程度の時刻までに町会の建物に山車を収めるのですが、このために戻ってきた若者のエネルギーはルール通りをよしとはしません。時間に関係なく、夜遅くまで、いいえ、未明までにぎやかな運行が続き、町内にはいつまでも囃子(はやし)と絶叫のような若者たちの掛け声が響き渡るのです。毎年のことですが、その頃…津軽衆は大抵、床に就いております。 

 弘前に戻って孫と対面。お盆に会ったばかりでしたが、随分大きくなり、じぃじとしてはうれしい限り。離乳食に加え、バナナや桃を手づかみで食べるやんちゃぶり。女の子なのにねぇ。びっくりしたのはゆでたブロッコリーも喜んで口にすること。孫を見習って、じぃじも野菜を採らないと。
 スーパーに買い物に出掛けました。孫を抱いて。そんな日に限って知り合いの誰とも会わない。孫自慢したかったのに。まあ、世の中そういうものですよね。いやいや、親ばかならぬ、じじばかですみません。
 
天守は随分と動いていました

 今回の帰省で大きな楽しみだったのが天守の曳屋です。市役所駐車場に車を入れ、市民会館、博物館を通って弘前公園内に入りました。下乗橋に来ると、あれま、あれま! 石垣の上にあった天守が随分後方に移動しているではありませんか。本丸の手前に木の階段があって、そこから本丸を見渡すことができます。あれま、あれま! やっぱり随分動いておりました。仮の土台がもう出来上がり、石垣修理の期間、ここに天守が落ち着くのだなと分かります。曳屋ウイークでいろいろな人がロープで天守を曳いているということでしたが、参加できるのは事前に申し込んだ人たちだけだそうです。残念ながら、運動会の綱引き(子どもの運動会、綱引きはいつも燃えてたなあ)で鍛えた怪力? を発揮できず、岩木山を眺め、弘前公園を後にしました。去り際に市民会館に立ち寄り、名誉市民佐野ぬいさんのステンドグラスを見てきました。東京でお会いした佐野さんのひょうひょうとした顔が目に浮かび、自然光が輝かせる「佐野ブルー」に改めて感激した次第です。
 
弘前市民会館では佐野ブルーに癒されました

 数年に一度という秋の大型連休シルバーウイーク。東京であまりお目にかかれない縮れ麺の味噌ラーメン、毎月通っていた大好きな日本そば、実家のバサマが育てた毛豆、リンゴの「つがる」はしっかり味わい、食欲の秋を満喫した連休でした。それでも帰る段になって何か忘れた感じが…。
 
 そうだ! 嶽きみを食べていなかった。もうすぐ新青森駅に向け自宅を出る時間だったので、今回は仕方ないと思っていたら、さすがはわが妻。どこからか仕入れてきて速攻ゆでてくれました。食べるのに熱々で大変ではありましたが、やっぱり嶽きみはおいしい。これでよし! 満足しつつ、じぃじは東京に戻ったのでした。




もくじ