悲劇・椿説『トイレット(Toiet)』
シェイクスぷあ
秋元 謙治

                                                          


このエッセイは、当然ながらノンフィクションである。しかし、プライバシー保護と個人の名誉のため、名作「ハムレット」の人物の名を借りて、書き綴ったものである。

場所 津軽の片田舎
坪内博士記念演劇博物館
人物 アセミー家
(デンマーク領・光が丘王国)
ヒロ王
ケイ・ミチコ王妃
オフィーリア

津軽ヒラヤマ城
トイレット
アニキ王
アネキ王女
イノカガア

ヒサオノジー
(シェイクスぷあのかつての学友)

ホレイショー・ヒダッカ
(シェイクスぷあの大先輩)
ホレイショー・ヒダッカ大先輩と



プロローグ
(岸田今日子さんのナレーションで)
目を閉じてイメージしてみて下さい、あの声が聞こえて来ませんか・・・


 シェイクスピアを学ぶなら、早稲田大学文学部英文科であろう。なぜ? かの坪内逍遥が早稲田大学教授時代に「ジュリアス・シーザー」を翻訳して、日本にシェイクスピア文学を紹介し、19年間の歳月をかけてシェイクスピア全訳(40巻)も果たしている。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館は、この偉業を讃えて創設されたものである。

 W英文科を優秀な成績で卒業された、大先輩ホレイショー・ヒダッカ(仮名)さんのお話によると、シェイクスピアの講義を担当されたのは英国人の詩人で、講義はすべて英語で進められたとのこと。英文科にありながら中国語(九連宝燈)も堪能であった先輩は、戸惑いはあったものの成績は、「優に及ばず」、失礼、漢字変換のミスです。「言うに及ばず」でした。

 恐れながら私・シェイクスぷあも、馬場の丘の上にある白亜のキャンパスの脇扉口をくぐり、通った若かりし頃、新潮社発行の赤表紙「福田恆存訳・シェイクスピア全集」に読みふけっていた。なぜ、小田島雄志ではなく福田恆存なのか、当時、福田は文学座を退座して、新劇集団「雲」を主宰していた。新劇にもかぶれていたシェイクスぷあは、迷わず福田の赤表紙シェイクスピアを選択し、「雲」のシェイクスピア劇で、芥川比呂志、仲谷昇、岸田今日子、神山繁、小池朝雄(個性派のいい役者でした)らの迫力ある舞台にしびれていた。英語での講義を受けることはなかったが、英国王室ロイヤルシェイクスピア劇団のオセロを原語で観た(エアホーン付き)。妻デズデモ-ナの屍に跪き、嘆き叫ぶオセロの声が今も耳についている。日生劇場のS席一万円は、当時の月給の1/3であったが、今となっては、青春の良き思い出である。坪内逍遥に及ばないが、福田のシェイクスピア全集を読み切り、我が右脳内には「シェイクスピア記念演劇博物館」が想造されている。

 この夏のことである。アセミー家(仮名)の美しい娘オフィーリア(仮名)に悲劇が起きた。都会育ちのオフィーリアとって、津軽の片田舎の暮らしは、想像もつかない異次元の世界であった。この悲劇は、シェイクスピアの四大悲劇の一つ「ハムレット」をも凌ぐ?何となしに「ハムレット」と聞き違えそうな「トイレット」という、白いお城での悲劇が待っていたのだった。