秋元 謙治
誉富士を支える 心技体

                                                          我がふるさと鰺ヶ沢は相撲王国である。王国を支えている一つに、丹代相撲道場がある。丹代相撲道場は、大相撲力士の安美錦や誉富士らを育てたことでも知られている。

 丹代道場出身の力士はじめ、相撲少年少女たちは「さがしい」相撲取りばかりなのである。まず、挨拶がいい。挨拶のときは、相手としっかり正対し、目をあわせ丁寧なお辞儀ができている。そのときの目が、何ともいい目をしている。また、砂まみれの体から湯気を上げながら闘志むき出しでぶつかっている時の目は、厳しさが光っている。五尺の土俵の上からは、鬼気迫るものを感ずるが、その目は獲物を狙う獣の目ではない。瞳の奥には、同じ相撲道に励む同志としての闘志が光っている。時折、師匠斉藤孝夫さんの声が道場に響く。だが、決してその言葉は暴力的ではない。懐深い斉藤さんの技と体を鍛え、心を磨く叱咤激励の声だ。そんな指導者の下で育った子どもたちは、みんな爽やかなのだ。

 大相撲5月場所が両国国技館で始まった。丹代道場で育った誉富士は、自分の型である押し相撲で、初日を飾った。その日の夜、伊勢ヶ濱部屋では初日を祝うチャンコ会が開かれ、能代出身の友人と出席した。誉富士は、小生の隣に165キロの巨体を揺らしながら座した。その迫力に負けてはと「あと、八つ勝でよ」と激励。再入幕を狙うには、八つの勝ち星では足りない。九っつ、いや、二桁はほしい。斉藤師匠に変わって発破を掛けたのだ。一六五キロのアンコ型の肉の塊は、このぐらいの発破でぶっ飛ぶこともあるまい。

 誉富士の周りには、近大の後輩である宝富士、兄弟子の安美錦が陣取り賑やかだった。安美錦には七ヶ月の愛娘がいる。「めごいべぇ。名めっこなんてしだば?」と聞いた。「めごっ子てつけだ」と、上手いのは相撲ばかりではなかった。話っこも上手だ。上手出し投げで勝負ありで、小生の完敗だった。おどけた安美錦は、あの細い目が隠れるほどに、ますます細めにっこりとしていた。

 誉富士との話に花が咲いた。桜はとうに葉桜となっていたが、その夜は、満開の夜桜見物の花見酒のようで、美味しく頂けた。ただ、誉富士は小生にはお酌をするのだが、自分のコップには、氷と水しか注がず。酒は一滴も飲んでいなかった。二人の花見酒?の酒肴は、チャンコのお変わりと、嫁ッ子だのふるさとで応援をしている人、ご両親やオンジの話っこと盛り沢山であった。なんと、横綱日馬富士との記念写真の、特別メニューのサービスも付いて、伊勢ヶ濱部屋のおもてなしは星三つだ。

 誉富士に、8月に予定している鰺ヶ沢でのイベントへの応援をお願いしたのだが、北海道巡業で時間がとれないとのことで諦めた。しかし、このまま勝ち進んで二桁勝利が七月場所(名古屋)まで続けば、念願の再入幕となる。そうなると、ふるさとで祝賀会が開催され、イベントへの参加も可能となる。そんな夢を語りながら席をたった。
 
 小生が立ち上がると、間を開けることなく誉富士も続いたので「どしたば?」と、両者にらみ合いで仕切り待った。小生は向正面から、正面の審判長席?の伊勢ヶ濱親方と東方の女将さんに御礼のご挨拶に回って、酒席を下りた。

 西方の玄関には、思わぬ関取が待っていた。魂消た。先ほど、仕切待ったで分かれた誉富士だ。お祝いに駆けつけた津軽衆たちの履き物を、揃えてくれていたのだ。「いやぁ、いい若げものだ」と、能代のけやぐも感心していた。誉富士は、津軽弁で感謝の言葉を重ね、帰りのタクシーまで手配してくれた。その爽やかな姿は、丹代道場で見た豆力士たちと重なった。

 大相撲の伊勢ヶ濱部屋にも「心技体」の相撲道が、輝きを増して続いていた。

 「けっぱれ!誉富士」

安美錦関と丹代道場の豆力士 誉富士関