がんぶ の まなぐ

不細工の眼


2011


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2011年12月26日(月)
カップヌードル詰め替え

 「なんだ。これ?」

カップヌードル詰め替え
できあがり

 一見そう思ったものの、パッケージの、見慣れた赤い影文字の「CUP NOODLE」の文字と、上下の黄色い点線ですぐにわかりました、ついに詰め替え用が発売されたのだと。(限定?)

見つけたのは少し前の話になりますが、種類はほかに、シーフードヌードルとチキンラーメンがありました。詰め替えとはいっても、シャンプーやハンドソープのようにボトルに入っていたわけではないのですが。


 商品名の横に「オリジナルカップで食べる リフィル(詰め替え)」と書いてある。でも、まだ横浜のカップヌードルミュージアムに行った事のない私は、オリジナルカップは持っていません。
だから、百円ショップで買ったどんぶりに入れて、お湯をそそいで食べることにしました。たくさんいるはず、そんな人。
だったら、ラーメンだけに「替え玉」って書いてた方がわかりやすいのに・・・なんて、意地の悪いことも思ってしまいましたが、スープやエビや四角い肉、卵も入っているので、正確に言うと「替え玉」とは違いますね。
日清食品さんすみませんでした。


 日清のカップヌードルが売れ出したきっかけは、昭和の大事件「浅間山荘事件」だったらしい。たてこもった犯人を取り囲む警察官がそれを食べていたところがテレビ中継され、話題になったのだそうだ。
 自分もリアルタイムでテレビ中継を見ました。しかし、まだ小学生だったので、事の重大さを理解できず、チャンネルをどこに代えても浅間山荘中継で、がっかりしていました。そんな訳で映像でのカップヌードルは記憶にありません。
 「ばがこの!すげぇ事件だんだや」って、興奮してテレビをにらみつけていた父親が、ひどく滑稽に見えましたが、父は目にしていたのでしょうか?

 カップヌードル初心者の頃は、プラスチックのフォークがついてきて、それで食べないと恥ずかしいのだと思っていましたが、いつの間にかなくなりました。思い出しても食べにくかったもの。割り箸の方がだんぜん食べやすい。


 いづ頃だったべ、テレビで「世界のカップヌードル」って、ニグらっと笑った外国の人、何人が出てきて、フォーク使って食ってらCMあったな。本当に外国でも売ってらんだべが?へば、外国だば今でもフォーク付けでるんだべな。まさが箸だば付いでこねやな。
 あ、カップヤキソバの話になるばって、マルちゃん「やきそばバゴーン」って食ったごと あるべが?東北で しか売ってねってす話だ。青森でだば、お笑いコンビのタカアンドトシCMしてった はんで、全国さ あるって思ってったんだばってな。
 私(わ)、UFOよりバゴーン派だったのさ。東京さ売ってねくて、たんげ残念だんず。



 今年の「不細工(がんぶ)の眼(まなぐ)」は今回が最後。私も津軽の実家に帰省します。来年は辰年。ドラゴンボールのシェンロンみたいに願い事を叶えてくれる龍の出現を期待します。年明けにまたお会いしましょう。それではみなさん、良いお年をお迎えください。


2011年12月22日(木)
「最近、蕎麦にハマってます」B

 先日も、朝ゆで太郎に行って、食ってきました。
 朝食納豆セット(生or温泉たまご付き)を食べました。340円!

 コンビニやスーパーでサンドウィッチと飲み物を買っても、これ以上の値段になるでしょう。他に、カレーが食べたくなるとカレーセットで食べます。ワンコインの500円、カツカレーセットだと600円です。

 カレーライスは、具こそそんなに入ってませんが、普通の量だと思います。よく、セットになってる「小どんぶり」とか「半○○○」ではありません。
 安くて、しかも、食べた後片付けが要らないってところが、なんといっても私向き♪。かけそばの汁が熱くないのも私向き♪。(恥ずかしながら、極度の面倒くさがりと、猫舌なのです)

 こないだ新聞で、そばが体にいいって広告(なんと健康飲料の広告でした)を見つけました。
 「毛細血管を丈夫にし、抗酸化作用があり、血管のコレステロール沈着を防ぎ、整腸作用があり、食物繊維が豊富で便秘改消に役立つ」とあります。
 かぁ〜っ、おそば!体にいいこと欲張りすぎじゃありませんか?それじゃあ、できることなら1日3食そばにしちゃおうかなぁ・・・なんてことも思ったりして。
 あんまり美味しくて、習慣性の麻薬でも入ってるんじゃないかと心配したくらいです。そんなことは絶対にないんですが、癖になるってこういうことなんでしょうな。
 青森県でそば畑ってできないのかな?農業振興にどうでしょう?

 今年、もう青森、たんげ雪積もってら らしいや。
 たばって、こいがら東京も寒んびぐなるはんで、冷(し)やっけぇ そば でねぐ、かけそば注文ささって まるんだべな。熱っつ そばもいいんだばって、香りは冷やっけぇそばの方良いんだいなぁ・・・。がんばって(?)でぎるだげ もりそば喰うや!
 おっと、大盛り無料券、12月末まんでだじゃ。年越しそば、家(え)で喰しな。すんぐど行がねばまいねな。

 

2011年12月19日(月)
「最近、蕎麦にハマってます」A

 ひとくちズズ〜ッと食べてみました。おっ、美味い!予想外でした。私の好みにも合っているんでしょうが、大好きになりました。

この日は、トッピング各種、そば大盛無料
券も付いてきました。うれしいっ!

 おそらくは機械で切っているであろう、寸分違(たが)わぬ太さのそば、事前にセットしていて冷蔵庫から出してきたと誰もが分かるネギ、みんなで仲良く使いまわす箸(はし)と、落としても割れない、水用の半透明のプラスチックコップ、ポットに入ってテーブルに置かれているそば湯。そば通(つう)の方は納得のできないこともあるのでしょうが、そんなの、グルメでもなんでもない私は気にしません。えーえ、全然気にしないのです! 

 「あそこのそばはコシがある」っていう評判の店に行ってがっかりした経験ないですか?

 これって硬いだけじゃねぇの?もう少し長く茹でてみたら?って。
ゆで太郎は、特別コシがあるってわけじゃないけど、歯ごたえ、のどごし、香り、どれも個人的にものすごく気に入ってます。もし、諸事情が許せば自分でフランチャイズして、弘前に店を出したいくらいです。


 そばのなに良いがって、ズゾ〜って すする音 たんげいいっきゃな。すすった時の鼻がら抜ける香り好ぎだなぁ。
 最初にこごさ入った時、良い音させで食ってった人居だんだって!なんぼ美味(め)そうに食う人だなって。
 私(わ)も おもいっきりすすったぉん。美味(め)がったなぁ。あれ、そばの滑り具合も丁度良ぐねば まねやな。
 外国の人も、日本さ来たら、おもいきってすすって食った方がいいど思うんだって。「郷に入ったら、郷に順(したが)え」ってすっきゃ。
 思い切ってやって みへ。そばだっきゃ、絶対その方、美味(め)や!


2011年12月8日(木)
「最近、蕎麦(そば)にハマってます」@

 今年の夏くらいから、近所の「ゆで太郎」さん、けっこうファンなんです。
 人の名前ではありません。リーズナブル料金のチェーン店のおそば屋さんです。
 通勤の通り道なのですが、それまで入ったことがありませんでした。それが今では・・・。

 去年の夏は、いろんなところで冷やし中華を食っていました。でも、自分の生活圏では「これは美味い!」っていう冷やし中華が見つからなかったんです。で、あるとき「ざるそばも、冷たいそばだよな・・・」と気づき、近所なので入りました(まぁ、メグネくても安いはんで諦(あきら)めもつぐよな ってす考えも わんつか、正直、ほんの わんつかだげ、あった。わっはっは)

 「ざる」ではなく「もり(260円。大盛り100円増し)」にしました。そばは変わらないし、きざみ海苔も乗ってなくったって構わない、もちろんお皿でもらってもОKですから、ざるにするこだわりはこれっぽっちもありません。

 ここは呼ばれたら自分で取りに行き、食べ終わったら自分で食器を下げま
す。それが低料金にできる理由のひとつなのでしょう。

大盛り!!

「大盛りのお客さん!」って呼ばれて、カウンターへ取りにいきました。
「安いはんで、少ねぇんだべな?」
なんてココでも思っていましたが、そんなことありませんでした。りっぱに大盛り。
ほら、地元だと、チェーン店のラーメン屋さんなんか、大盛り1000円近くするのに
「ええっ、これホントに大盛りだのな?へば、普通だばワンコそば だけんたべな?」っていう少量の店もあるじゃないですか。

 余談ですが、逆に多くてびっくりだったのが、7年くらい前にいつも食べてた、五所川原の栄華飯店。そこの冷やし中華大盛りは美味しいし、何よりあまりの盛りの良さ。子供用洗面器のようなどんぶりに、どどんと盛り付けられた満点ボリュームなんです。
当時、私はお店に無理を言って、特別に1.5盛りを作ってもらってたくらいです。(今も変わりないかは、確かめていません。悪しからず)


 さて、話をゆで太郎さんに戻し、そばの美味しさを語るのは・・・次回にいたします。ここも悪しからず。(前置ぎ、長げ過ぎるんだねな。最近・・・)

 私(わ)も東京の人でね はんで、行列さ並んだり、人よげだ所(どご)さだば、なるべぐ行きてぐねんず。したはんで、なんぼ好ぎだ店でも混んでら時だば入らねんだ。いづまんで経(た)っても、私(わ)、じゃいごの がんぶだねな。
 したばって、ゆで太郎近所だ どごで、最近だば空(す)いでる時間分がってきたんず。えへへ。

 

2011年11月25日(金)

 日中も少々寒いと思える日が増えてきました。みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
 東京というところは、今年も秋という季節を感じる間もなく冬に突入したようです。とはいえ、まだ、息が白くならないうちは、雪国人(ゆきなんちゅう?)の私、「このくらいで、まんだ暖房だの点けるもんだな。あだりめだ!」と思って着込んでおります。

 故郷津軽は、本格的な冬はまだですが、雪も降り、秋と冬の境界線をたしかに跨いでいるようです。そこにいくと東京。朝晩一桁まで下がる気温も、最高気温はまだ20℃ほどの日もあります。人々の着ているモノも、マフラー・コート・ブーツの人から半袖Tシャツの人まで様々です。少し変な感じです。

 季節の移り変わりを感じにくい東京は、青森にくらべ、草木が少ないからでしょうか?日々、纏(まと)う葉の色を変える木々や、赤や黄色の落ち葉を敷き詰
める道。朝、気づくと頭に白い雪を被(かぶ)っている山々。Vの字になって飛来する白鳥・・・等々。コスモスや、すすきの群集も、もちろん赤く色づく林檎畑も見ることはありません。

弘前・岩木川沿いから〜秋の岩木山

 知っていました?岩木山って、秋は紅葉の赤が上からだんだんと降りてきて、途中2色になりますが、春から夏にかけては、上から、雪の白色、紅葉の赤茶色、新緑の緑色、の3色になるんですよ。
弘前だと、岩木川沿いの道からが一番わかりやすいと思います。


 そういえば、赤とんぼにも2年くらい会ってないなぁ・・・。


 12月の声聞けでくれば、東京も「あぁ、冬だんだべな」って思うばって、私(わ)だば雪降ねば だば 冬来たぇんた気ぃさねんだって。
 銀座だの、丸の内だの、今年もキラキラったイルミネーション綺麗がだで、それ見れば「今年も、クリスマスだんだな」ってだば思うばってな。そしたの、東京の季節感だんだべが?
 あど、何日がで12月になるんだっきゃ。大人になってがら、なんぼ1年過ぎるの早えっきゃな。歳とる わげだね・・・。

2011年11月21日(月)
ギターB

 最初にギターを練習した、南こうせつさんの「夢一夜」。
 南こうせつさんといえば、伝説のフォークグループ“かぐや姫”のメンバーだった人。「神田川」「妹」など、時代を映す名曲を残したグループだ。
 かぐや姫は、こうせつさんの他に、山田パンダさん、伊勢正三さんの3人。
 そして、この伊勢正三さんもまた「22才の別れ」や、イルカさんが歌った「なごり雪」「雨の物語」など、昭和を代表する名曲を作った方なのだ(・・・若ぇ人だば、わがねべな)。自分にギターを練習させてくれた、例の友人が同時期に練習してたのが「22才の別れ」だと記憶している。今ではこれも、なにかの縁を感じるのです。

 「夢一夜」を、なんとか弾けるようになった頃、やっと自分のYAMAHAギターを手に入れました。フォークソング雑誌も買ってきて次の曲にチャレンジするのですが、「ある程度」しか弾けないので、簡単なコード進行の曲の(または、初心者用に、簡単なコードに直してくれている)本を選んで買ってきました。それも、根気というものを持ち合わせていないので、ロクに弾けないうちから次の本を、また買う。1冊の本の、2〜3曲くらいしか弾けなかった。まぁ、それでも満足だったんですけどね。
 
 チャゲ&飛鳥、長渕剛、松山千春、さだまさし(以上みなさん、敬称略)、そんな方々の曲をギター弾きながら歌っていました。ちなみに、アリスやユーミンなんかは、コードが難しくて無理でした(泣)。

 
そして・・・後に、夜のネオン街に「カラオケ」が登場することになります。それが一気に老若男女に愛され、いろいろなシーンでコミュニケーションに一役買う時代になるのです。


 ギターを弾きながら歌っていたので、歌える曲にバリエーションがあるし、比較的歌い慣れていたようです。後に、これが社会に出てから大きく役立つことになろうとは・・・。


 若者よ、世の中に無駄なものなど存在しないのだ。今は、悪いこと以外はなんでもやっておけ。後々、何が役に立つかわからないゾ。

 
なつかしぃな。あのギターの本、どごさ しまったっけな?今度、実家さ帰ったら、本棚探してみるが。んだ、久しぶりにギターも出して、わんつか弾いで みるがな。
 指動がねぐ なってらべな。弦錆びでらんでねべが?あ、6弦切れでらんだじゃ。買ってきて付けねば まねな。
 なんだが、帰るの楽しみになってきたな♪。

2011年11月18日(金)
ギターA

 自分で、最初に買ったギターは「YAMAHA」。新品でしたが、2万円ほどの安いヤツでした。
 本当は、モーリスとかマーチンとか、ハードケースも付けて欲しかったんですが、高くてとても買えませんでした。
 でも、コレがアタリだったようです。

 予備知識というものがなかったので、安いというだけでチョイスした、このYAMAHA。すごく弾きやすいモノで、初心者にはうってつけだったようです。
学生時代、軽音サークルに在席していた同じ寮の先輩とギターを弾いたとき、その先輩が自分のYAMAHAを弾いて、「コイツ、なんて弾きやすいギターも持ってやがる!」と言わしめたくらいです。
YAMAHAの全部がそうだったのかは知りませんが、ネックと弦の距離が近かったんですね。軽く押えるだけでハッキリ音が出やすかったのでしょう。

私(わ)も、こした綺麗がだだ人さ、
ギターしかへでもらいてぇがったなぁ。

 それでも長時間ギターを練習していると、指先のほぼ1点で弦を押え続けている人差し指と中指、薬指が紫色になってきます。これが、けっこう痛いんです。
 
 ところが、人間の体ってすごいですね。毎日弾き続けると、その指先が硬くなってきます。

 そして、その指先の硬さを自分で確認するたびに、ミュージシャンの仲間入りができたような気持ちになるのです。すると、ことある毎に「私(わ)の指先だっきゃ、硬(かで)んだや」と自慢してしまいます。

 指先が硬くなる頃には、それなりに4〜5曲弾けるようになってきて、気づいたら「キュッ」と弦が鳴ってくるんです。
「おぉ、私(わ)も、やるもんだな・・・」などと、ひとりで悦にいってたりして・・・。バカです。
 
 してまんだ、いいきなって 学校の音楽室さ置いであったギターごと、音叉(おんさ)も 無(ねぇ)のに勝手にチューニングして、「誰(だい)だば、これ ちょしたの?チューニング狂ってまってら でばな!」って、叱らいで まるんだぉん。(実話)

 

2011年11月15日(火)
ギター@

 テレビでやってたダイワハウスのCMから、美しいギターの音色が聞こえてきた。少しばかりギターを弾いていた若い頃を思い出して懐かしかった。特に「キュッ」という音!背中がゾクッとした。

 ギターを弾く人なら、これだけでわかると思うが、弦を押える指がその上をすべる音だ。
 自分と同世代の昭和30年代後半生まれは、ほとんどがギターに触れたことがあるんじゃないかな。男の子はもちろん、女の子も上手いコが何人かいた。中学くらいになると、フォークソングを自然と聞き始めた。ラジオの深夜放送では、アリスの谷村新司さんが「モーリス持てば、スーパースターも夢じゃない」とギターのCMをしていて、みんなシンガーソングライターとギターに憧れた。 

これ、私(わ)でね はんで。
私(わ)、こらほんど、カッコイイぐねぇし。

もちろん自分もギターを持っていた。でもFやBmは、いつまでも苦手だったなぁ。ヘタクソのまま、弾かなくなったけど。

 始めるのはみんなより遅いほうだったと思う。高校の2年くらいだったかな。
最初は友人が先輩からギターを買ったので、その友人の家で、友人のギターで練習しはじめた。


 余談だが、その友人がイイヤツで、そいつの部屋にいるのに、誰も居ないかのように、ひとり夢中でギターを爪弾(つまび)いてても
(爪弾ぐって すのも、懐かしい言葉だぁ。これは、アルペジオの時。ストロークは、かき鳴らすって したな)、文句ひとつ言わずにほっといてくれた。終いには「少し休まなが。指先、紫になってらばな!」って、コーヒー持ってきてくれたりもした。本当イイヤツ。今でも地元に帰ったときには、一緒に酒を飲んでくれる親友のひとりだ。今度帰ったときには、あの時のことも、ちゃんと礼を言っとこう。

 ああ、その時弾いてたのは、南こうせつさんの「夢一夜」だったんだよなぁ。

 あのあだり出でったフォークソング雑誌さ、ギターコードも載ってってさ、しかも、コード押える指の位置まんで図で書いで けでった はんで、憶えやすがったなぁ。だいたい、最初はEmがら始まって、次にAm、そっからCとが、Gとがさ発展して行ぐパターンよげ でったな。

 「夢一夜」、なんとがかんとが通しで弾ぐに いぐなった 時だば、自分で感動したなぁ。そのケヤグの家で、ケヤグのギターでだった ばって・・・さ。

 どらほんど そのケヤグのギターで練習してったのよ な。今考えれば、ひとのモノ借りで返さねジャイアンだけんた でばな。


2011年11月11日(金)
「自転車A 速度差でどちらも怖い」

 先回は、ほとんど歩道を歩く話で終わってしましました。今回は、タイトル通り自転車の話を。

 自転車はもともと軽車両。自転車通行可の歩道以外は、原則車道を通らなくてはいけません。そこのところも含め、警察庁では先月、「自転車交通総合対策」を公表。全国的に、なにやら警察官が見回り、罰則適用もジサナイ指導していくということです。


 歩いていると、速くて音のない自転車に追い越されて、びっくりすることもしばしば。「音のない」は、チリンチリンのベルを鳴らせということではなくて、遠くから近づいてきたなとわかる音のことです。オートバイみたいにエンジン音でも出ればいいのに。ま、あまり五月蝿いのも困りますが・・・。

安全運転第一!

 そうは言っても、自転車に乗っていると、今度はもっと速い自動車に追い越される時も怖いものです。コチラも進んでいるからか、後ろからくる音は気づきにくく、しかも、近頃の高級車は静かすぎて、突如背後に現れたのかと思えるくらい。何度かビビった記憶があります。

 そんな自動車やオートバイのドライバーにとっても、逆に自転車は非常に怖い存在なのです。乗り手によって速度や動きが違い、非常にゆっくりの人もいれば、予想以上に速く、鋭い方向転換する人もいます。これは、動きの予想がとってもしづらい。ウインカーなんかも付いてないしね。


 いや、ウインカーがわりに、手信号をされる地元の御高齢者も怖い。手信号を出した瞬間スグの方向転換攻撃!驚いてクラクションでも鳴らそうものなら、「ちゃんと手信号したべよ。なに 良(い)ぐねってよ!」というような顔で、逆に睨まれてしまいます。それは危ないんですって!こわっ。

 今まで、ほとんどの場合自転車は、交通法規の縛りや、その罰則も受けにくい車両でした。また、運転者の体力によって速度も異なり、勝手にも思えるそれぞれの動きになってしまうのでしょう。自分を振り返ってみても、自転車に乗っているときは時々迷惑な動きをしているんだろうなって思います。(反省!)

 さらに私は、ある程度スピードの出る乗り物に乗ると、その性能を如何なく発揮したいと思ってしまい、そのために自分の操作技術までをも向上させようと努力してしまうクセがあるのです。


 ん〜と、こご たんげ反省してます。30代後半くらいがらだば、むったど安全運転です。ホントです。(汗)

 車ひっぱる時でも、バイクさ乗っても、自転車でも、安全運転第一だっきゃ。くれぐれも命あってのモノダネだぉん。いろんだ事総合的に考えれば、私(わ)、東京でだば、自転車乗ねほう いいんた。そういう訳で、一緒に自転車乗ねがって誘ってけだ S支社長さん、私(わ)その話さ かだらいねんた。スミマセン。

 私(わ)だっきゃ歩ぐじゃ、人間、脚がら年寄るって すはんで・・・。

2011年11月7日(月)
自転車@ 宵宮の中を走っちゃダメ

 「どうだい、一緒にやらないか」と誘われたのですが・・・。
 先日、お会いした地方新聞社の支社長さん。最近ロードサイクルを始めたそうだ。ヘルメット始め、かなりの装備も用意したそうな。相当本格的な自転車に乗っていらっしゃるのでしょう。

 私も、東京に来てすぐの頃は自転車を用意しようかと考えていました。ママチャリでもあれば、近所の散策や買い物に便利かな?程度の考えからですが。
 しかし、東京の人口密度は思った以上にものすごい。マンション周辺や職場周辺の歩道は人がい〜〜っぱい。

こんな日はいいけれど・・・

こんなトコロは無理!

 ちょっと極端な話ではありますが、時間によっては宵宮やお祭りの人混みを自転車で走行するのと似たような状況も。
少し進んでは止まり、ゆっくり進んでは止まり、挙句の果てには人に嫌な顔をされ、たまに怒鳴られ・・・。


 だからといって車道を走るとなると、自動車やオートバイの邪魔になりそうで怖い。自転車専用レーンの設置が早期に広まるよう期待します。

 話が逸れるようですが、都会の歩道は歩くことですら慣れるまで大変です。

 ケータイでお話しながら歩いている人がいるかと思えば、メールか、はたまたナビなのか、ケータイ画面に集中しながらの人、2〜3人で談笑しながらの人など。

こんな方々を縫って通るのには、若い頃体得した、剣道の足さばき、体さばきが役に立っています。
急いでいる時なんかは剣道やっててよかったと思います。

 正直、だいぶ鈍くはなっているのですが・・・。

 携帯で通話やメールをしながら歩くと、どうしてもゆっくりになる。そして真っ直ぐ進めず、左右にふらつく。で、何故か追い越そうとする方に寄ってくるんです。後ろが見えていないはずなので、わざとじゃないとは思うんですが。不思議なものです。

 
あど、困るのが縦ど横さ幅とって歩ぐ人だね。
 縦はキャリーバッグ引っぱってる人。これも自分でだば、後ろ見(め)ねもんだはんで、どらほんど邪魔になってるがさ 解(わが)ねんだべな。私(わ)も持ってあるぐ時あるはんで、気つけねば まね。

 横は、やだら腕振って歩ぐ人。男の人は欽ちゃん走り(有名な萩本欽一さん独特の走り方)だけんて、左右さ腕振って歩ぐ人、たまにいるんず。
 女の人だば、よぐ でっただバッグ肩さ掛げでら人。重(もで)ぇはんでだがさ、前がら横通って後ろさギュンギュン振って歩ぐ女の人いるんだって。振り回す腕の勢いで前さ進んでらべよ!ってす歩ぎ方。

 それ可愛(めご)いって喋る人もいる ばって、高速道路だば、トラックだのって幅とるはんで通行料金高(たげ)んだや。(関係ネェな。んだ、わがってら。)

 

2011年11月4日(金)
ジャージ

 11月1日。ジャージを出す気になった。
 前日まで、部屋では半そでのシャツにパンツでいた。暑かったからだ。
 10月になってからは、さすがに、エアコンの冷風を浴びたり、ベランダの窓を開けたりはしなくなったが、マンションの狭いワンルームは、まだ下着でじゅうぶん過ごせた。今年の東京は、11月だというのに、連日最高気温が25℃近くまで上がったみたいで、本当はまだパンツでいけそうだったが、「暦のうえでは」的なことと、この日マンション各部屋の火災報知設備などの「消防用設備点検」で、検査員の方が部屋においでになるということで、「そいだば、パンツでだば まねでばな。へば、このタイミングで着るが!」と思った訳さ。
 ・・・少し、カビ臭かった。

半年ぶりに出した

 小・中学生の時分は、時代的に、運動着、体操服、などと言われていた。
学校にはもちろん、普段着として休みの日にも着て遊んでいた。動きやすかったし、なにしろ脱着しやすいのが気に入っていた。夏も冬も兼用。


 小学校時代は、肩から腕にかけてと、腰から脚の横に2本のラインがはしるアディダスがカッコよかった。(余談ですが、あれは絶対「仮面ライダー」の影響があったと思っている。本郷猛の1号ライダーが、帰ってきた時のヤツ。仮面ライダーは偉大だ。)
それから、年々ジャージはスタイリッシュになっていきます、一般のヤツは。


 中学や高校では、学校指定のジャージになりますが、このころの学校ジャージは時代を逆行します。
上着はYKKが胸までしか開かないタイプで、下は、まあ、モンペとストレートの中間みたいな形でした。
いちばん問題なのはその色です。学年ごとに色も決められていて、冴えない緑色、おもしろくない紺色、見栄えのしない小豆色の3種類でした。
スタイリッシュではないどころか、お店にでていても、普通は誰も手を出しません。ゲロゲロです。
学校によって違う色もありましたが、私立校以外はほとんどノーサンキューな色だったと思います。
ですが、みんな、学校指定なのでしょうがなく買います、着ます。しかも、けっして安くはなかったと、母親がぼやいておりました。たいへん残念なシロモノなのでした。


 PUMA、adidas、Kappa、今だばもっとメーカーあるんだべな。カッコいいジャージいっぱいある。ダホッとした派手だジャージ着て、グラサンして、ジャラジャラった首飾りしてら おっかねぇ人もいるっきゃな。

 昔、学校の先生、よぐジャージ着てったっきゃな。中学校の時の担任の先生も、袖ボロボロになった、カフェ・オレ色で2本線入(は)ったジャージ、ワイシャツの上さ よぐ着てった。私(わ)も、良(い)ぐね わらすであったはんで、先生さ よぐ ふたがいだなぁ。先生、あの頃若(わげ)がったばって、そろそろ定年で ねべが。懐かしなぁ。

 久しぶりに いぎあって、二人して酒っこ飲みながら、話っこしてみてぇもんだなぁ。

2011年11月1日(火)
どごさ いでも、雪(ゆぎ)の苦(く)して まねんず

 アメリカ東部の広い地域で、今の時期めずらしい早い雪になっている。テレビニュースでも、首都ワシントンやニューヨークも白い雪に覆われていた。映像では「なんでこんなに寒いんだ。まだ10月だぜぇ」と、困ってるんだか、喜んでるんだかわからない、ハイテンションのニューヨーカーが映っていた。カメラを向けられてテンションが上がってるんだろう。

吹雪っ!真冬の弘前公園

しかし、ハロウィンの飾りの横で雪かきをしているお兄ちゃんはムスッとしている。見てわかります。その雪重いでしょ。その苦労、私もわかります。

 去年、栃木県の東武ワールドスクウェアというテーマパークに行ったときも・・・。
 そこは屋外に、日本や世界の建物の、かなり高い精度のミニチュアを展示していて、人の背丈ほどのイタリアはガウディのサグラダファミリアや、フランスのエトワール凱旋門、もちろん日本のスカイツリーも。あまりの精巧さに感動すら覚えます。

 そこで結構な広さの飛行場(例えると、子どもの頃、黒石の大黒デパートのゲームコーナーにあった、百円を入れると動く電動乗り物のスペースの2倍くらい)を見ていた。飛行場には2〜3pほどの小さな人々が無数に歩き回る(ように見える)。その中を、人間の子どもくらいの大きさの飛行機がゆっくり動いていた。


 見てすぐに
「雪降れば、たんげ 気つけで とろけねば まねな。どすんだべ?」などといらぬ心配をしてしまう自分がいた。雪国人なのである。

 ニューヨークど青森って、緯度同じだんだつっきゃ。どっちも北緯40度だんだど。したはんで、雪降ってもおがしぐね んだばって、東京って雪降ねはんで いいやな。して、1年に1、2回、かさらっと 降るはんで、綺麗(きれん)だだ ずがさ、ロマンチックだずがさって していらいるはんでな。

 去年、1回 もさらっと 雪降ったんだおん。すんぐど べちゃべちゃ った雪になってまったはんで、次の朝ま スノトレ履いで会社さ行った。
 どんだば、おめ達、持ってね べよ。って鼻高ぐして歩いてったんだばって、電車の中でスノトレ注目さいでら ぇんたで、わんつか めぐせぐなった。

 したばって、東京で雪とろけ さねはんで だべが?太ってきたぇんた。がんぶだうえに でぶだば なんも まねでばな。
 


2011年10月27日(木)
本物!津軽郷土料理と津軽三味線/西新橋 ボワヴェール

 先日、西新橋の現代青森料理とワインの店「BoiS Vert(ボワヴェール)」で行われた、『津軽の料理と文化伝承しナイト』に参加してきました。
シェフは青森の食材に惚れ込み、自ら青森に足を運んでは、納得のいく食材を仕入れ、洋風にアレンジしてお店で出しています。お店は毎日、予約なしでは入れないほどの大人気です。


 でもその日は川口シェフではなく、弘前狼ノ森から来てもらった『木村かっちゃ(シャイな方で、名前や姿を公にしないでくれとのこと)』が作る本物の津軽郷土料理と、岩間千栄子さんの本物の津軽三味線、さらにシニア野菜ソムリエの柳沢舞さんのお話を楽しむイベント。
せっかくなので岐阜出身の男性と、横浜出身の女性(くれぐれも菜の花で有名な横浜町ではありません)と3人連れ立っていきました。


 「ナスのずんだ和え」は、あっさりした枝豆に包まれた、焼きナスの香ばしさが美味しかった。
「ミズの数の子和え」は、柔らかミズと薄塩味の数の子がさっぱりして美味しかった。
「鱈のじゃっぱ汁」は、ダシの効いたミソ味スープは久しぶりで美味しかった。そのほか、貝焼き味噌、栗ご飯、キノコの塩辛
(ナメコであった。出来ればサモダシ喰いてがったばって・・・)、ニンジン、ゴボウ、菊の甘酢など、全11種類。
全部美味しかった。岐阜の彼が店を出てから「全部の料理に心が入っている!」と感動を語っていたほど。


 岩間師匠の津軽三味線も、確かに津軽の血が奏でる音色。女性らしく細かい所にもしっかり気配りのある弾き方で、やさしくまろやかな、でも太い音でした。「どだればち」を弾いたときには、かっちゃと某新聞社のS女史がキレのある踊りを見せてくれました。

 柳沢さんは青森県にお住まいとはいえ、東京で生まれ育っているせいか、野菜やくだものへの愛あふれるお話。楽しかったです。

 岐阜の彼も横浜の彼女も、津軽満喫!満足してあったんた風(ふう)だ。でも、あだりめ だばって、S女史ど津軽弁で話してらっきゃ「何て言ってるか、全然わからない」ってしてあっだ。なしてだが、わんつか優越感であったんだって。
かっちゃ さ、挨拶した時も、川口シェフさ
「津軽弁、喋れるんだね」って感心(?)さいで、あだりめだ!ど 思いながら、鼻「もほもほ」ど なってまった。
津軽弁知らね人の前で、普通に津軽弁で喋るのって、たんげ快感だ!英語も、フランス語も、ドイツ語も、中国語も喋れねばって、津軽弁だば、任せろ!
 したばって、県外の人達一番感心してあったのは、S女史の津軽弁同時通訳であった。
「カッコイイ!」って。私(わ)も、そごまで 出来るように なねば!
 

2011年10月24日(月)
円と銭


 またも銭(ぜに)の話になり恐縮です。
 実家に一銭玉と十銭玉がある。平成の今では古銭の部類になるのだろうか。
 十銭玉は穴があいていたのかな。(ものが手元に無くてザックリな話ですみません)

 自分の実家は、25年ほど前までたばこ屋をやっていまして、一銭はたばこ陳列ケースの下から出てきたと記憶している。
十銭は東新町の友達(けやぐ)の家、畳の隙間に落ちていて、その友達(けやぐ)が見つけたものをもらった。


 当時は、そんな銭(せん)と円のどちらも見ることができるギリギリの時代だったのかなぁ。
もちろん駄菓子屋なんかにいっても十円以下のものは皆無。売買に使ったことなんかないけど。


 小学生の頃の自分には、階段下の売り物たばこ収納茶箱の下とか、店の陳列ケース下の隙間、店の外の堰(せき)、この辺が宝捜しのポイントでした。


 当時、うちでは、たばこが乾燥しないように大きな茶箱に入れて保管していました。その置き場所が、階段下のスペース。
懐中電灯片手に潜って、ここで鳳凰の百円玉を発見しとこともありました。今の桜の百円の前のヤツです。


 陳列ケースの下の隙間は、店にあった長い物差し(たしか3尺、90pくらいの長さだと記憶している。竹製で濃い亜麻色に年季の入ったものだった)で、横に滑らせると、百円玉やギザギザの十円玉などが数枚出てきたものだ。
1銭もたしかここから発見したんだ。色が似ていて、一見十円玉に見えた。


 外の堰は、今は冬の流雪溝になっているが、当時も今も、子どもの胸までくらいの深さ。あの頃はごく浅い流れで、幅は子どもがやっと一人通れるくらい。長いこと誰も入ってなかったのだろう、
ここにもハリソン・フォードよろしく、ワクワクしながら懐中電灯と長靴で入ってみたときには、数枚の百円玉、十円玉、五円玉を発見!おもしろかったなぁ。
数年経ったらもう一度入ってみようと思っていたのだが、思い出したら体もデカくなっていて、第一そんなバカなことは出来ない歳になっていた。
ああ、残念だ。


 
堰はともかぐ、店の陳列ケース下ど、茶箱スペースは、までーに探せばまだ なんが出でくるど思ってったんだね。自分でも、子供(わらす) そった家探しだけんたごと せばまいねって まじめに思ってさ。だはんで、店ど家壊す時、私(わ)さ、この辺探さへろって、おふくろさしゃっべてったんだばって、そうなった時、私(わ)大学さ行ってで家(え)さ居ねがったのさ。もっと古いお金、五十銭玉とか、なんがいいもの出できたがもわがねのにな。ばくせなぁ・・・。


2011年10月20日(木)
五十円玉

 またまた、じぇんこ の話です。

 自分が小学生の頃、しかも低学年くらいだから、今から40年以上前。その時分は五十円玉が3種類流通していた。


 今もある五十円、そして、今のより一回り大きな五十円と、大きくて穴が空いてない五十円。色はどれも白銀色だったが、穴の空いた大きなヤツだけは磁石にくっつくヤツだった。これはご記憶の方もたくさんいるはず。材質にニッケルを多く含むかららしいが、いつのまにか、大きな五十円玉は姿を消してしまった。


 紙幣や硬貨のなかでも、同じ時に3種類が混在していたものも珍しいよね。

 現在の、青い野口英世さんの千円札が出回り始めの頃は、お店の人が岩倉具視さんの五百円札と見間違え「千円になります」と笑顔で念押しされたことはあったけど。(笑)

 たぶん・・・、五十円玉が大きく、造幣するのに経費がかかる。そこで(ニッケルを多く含ませ)材質を落とし、穴を空けた。しかし、やはり百円玉より大きくて、立派に見えるのはいかがなものか?と、今の五十円玉になった・・・のではないかと想像する。あくまでも想像。
 ・・・おそまつさまでした。

 ちなみに、ごく稀に、穴の位置がズレた五円玉だの、五十円玉もあるんだつっきゃ。製造上でもなんぼも出ねくて、あっても造幣局の中がら世間さ出まわるごとは、ほとんど無ぇんだど。

 したばって、もしあれば、すげぐ希少だはんで、マニアさだばかなりの額で売れるらしいや。私(わ)も本さ載ってら写真でしか見だごとねばってな。

 なんぼくらいに なるんだべな?見つければ・・・、やっぱり、売ねべが。いや、あ〜、なんぼだば、売るべ?


2011年10月18日(火)
茄子とのご縁 (ナスです、女子の名前ではないので誤解なきよう)

 茄子(なす)が大好きです。

 人生で最初に茄子をおいしいと思ったのは、たぶん漬け物。でも、さらにワンランク上がって、茄子に一生着いていこうと決めたのは、忘れもしない小学3年の夕飯のおかず『茄子の味噌炒め』を食べた時だった。空腹も手伝って美味かったなぁ。

 だいたい、空腹というものを感じるようになったのもこの頃。それまでは腹が減る前に強制的に食卓に座らされ、飯を食わされていたのでした。

 太宰治の『人間失格』という小説の中に、主人公が家でご飯を食べる場面回想がある。たぶん、名家のおぼっちゃまだった太宰(本名:津島修治)の実体験であろう。
「10幾人の家族がきちんと並んだお膳を前に座り、ただ黙々と食べている。・・・これは『儀式のようなもの』だと思っていた。」と綴っている。


 実は、この件(くだり)、少しだけ共感したのです。私も小学校2年くらいまでは、人はなぜ食事をするのだろう?と思っていたのです。

 学校では、クラスメイトと並ぶと、常に前から2〜3番目(身長の低い順。
幸いいちばん前になったことはない)だった私。元々栄養を欲する量が少なかったのです。
親も小さい方なので、DNAが求めていなかったのですね。
幼稚園児時代、先生に、お弁当を全部食べないと、遊んではいけませんと言われ、昼休み中、ジーッと弁当を眺めていたこともありました。だって、食べられないものは、食べられないんです。けっして、太宰のような名家ではなく、中流の家だったのですが。


 小学3年になった頃には、少し身体も大きくなり、その日の夕飯時は特に空腹で、ホカホカご飯と一緒に食べた茄子の味噌炒めがメチャクチャ美味かったのです。

 これもご縁というんでしょうか?それから茄子は、私の大好物になるのです。ナス焼き、天ぷら、卵とじ、
オツユ

 秋・・・、茄子の季節ですなぁ。ウフフ。

 
背伸(おが)ね のさ たんだ食(け)ぇったったって まねんだって。
食(か)ね はんで 伸(おが)ねんでねぐ、伸(おが)る人だ はんで 食ぅんだでばな。
 ちなみに、おいの父親だっきゃ、息子さ向がって「私(わ)より、わんつか大きぐなれば 良いど思わねばまねな。165pになれば良いんでねな」ってしゃっべってあった
。したっきゃ、本当に165pでビタッと止まってまったぉん。なして あの時、もうわんつか 欲張って しゃべってけねがったべなぁ。


2011年10月13日(木)
新潟たれかつ丼に、感激&感動A

 さあ、前回のカツ丼話の続きです。

 以前ココで、記憶に残る弁当の一つに、JR新潟駅の駅弁「トンカツ弁当」を挙げたことがある。たれ付きのトンカツが抜群に美味しい、と。
 そうなんです、ギン酒場のも新潟だと気づいたのですよ。再会できたんです。いや、兄弟か親戚に会ったと言ったほうが近いかな。

 実は、店に入る前、ランチの立て看板を見た時点では「豚丼」と「たれ かつ丼」で迷い、やや豚丼有利の気持ちで入ったのですが、オーダーでは口が勝手に「たれ かつ丼」と言ってました。何かに導かれたとしか思えません。

 オーダーを受けた店員さんが、厨房担当の方に「新潟一丁!」と元気に指示。ですが、鈍い私はまだ気づかず、
ん、なしてニイガタだんだべ?と、ランチメニューを見直しました。さらに、それでも「へぇ〜、豚丼が北海道で、カレーが秋田(燻りがっこ付き)で、かつ丼が新潟だ」くらいしか、思わなかったのです。
 後から思うと、@「たれ かつ」A「新潟」のキーワードで気づけよ!なのですが、鈍いして まねのです。

 食べながら、見るともなしに、もう一度メニューに目をやると『揚げたてのかつに 甘めの醤油だれをかけた 愛され続ける 新潟のお袋の味!』の紹介。へぇ〜、たれトンカツは、新潟のお袋の味なんだ・・・ん?

はい、鈍い私はそこでやっと気づいたのです(遅いっ!)。
あ〜、へば あの駅弁も!トンカツさタレかけて食うのって、新潟だば定番だったのな!って思い出して、思わぬところで旧知の人に会ったような喜びを感じ、おかげさまでその日は、ことさら美味しく、感激と感動のランチをいただけたのでした。

 東京ず所は、いっぱい何でもあるはんで、いろんだ物だの、人だの、感慨深(おもし)ぇ出会いあるっきゃな。べろっと 入った店で、かつ丼食って「旧友ど いぎ会った」ぇんた感動すんだもんなぁ。わんつかだ事だばって、あらためで そう思ったんず。今月中に、もっかい あの美味(め)ぇ「たれ かつ丼」食(く)に行がねば まねじゃ。

2011年10月11日(火)
新潟たれかつ丼に、感激&感動@

 先日、何気なく入ったお店で食べた「かつ丼」が美味しかった。銀座3丁目にある「B級グルメ村 ギン酒場」の「たれ かつ丼」です。

 お店は、外観、そして店内も黒の木造でシックな和の雰囲気。入り口の扉も、ガラガラと横に手で開けるタイプです。
 まあ、普段からカツ丼は大好き。お昼にはよく食べます。この日もそんなノリでオーダーしたのでした。

 しばらくして、お待ちどうさまの声とともに四角いお盆で運ばれてきたのは、ご飯の上に揚げたてヒレかつ4枚が、ぽんぽんと置かれたドンブリ。

カツ丼はタマゴで閉じたトンカツが美味しいですよね。ですが、この店のは「たれ かつ丼」なので、タマゴは使われていません。


 ほかにも、適度に具の入ったトン汁と、きざみキャベツに、キュウリの薄切り2枚とトマトひと切れが乗ったサラダ、それと、薄味白菜の漬物小皿。

 ご飯とカツの間にきざみノリがパラパラ置かれていて、ノリの香りがいい感じです。タレは、揚げたてカツにほどよく染みて、食べ進むとご飯の下の方にも少し染みていました。
最初は、タレをもっとかけてくれてもよかったのに・・・とも思いましたが、あまからいタレは、わりとしっかりした味なので、あれ以上の量だと「クドい」と感じたことでしょう。
また、タレご飯部分をクドいと感じそうなとき、薄味の白菜漬物を口に入れると清涼感を取り戻すのです。
トン汁もまた、合間にすすると、なかなか合うし。
ヒレかつは、口の大きな人だと、1枚を3口くらいでたべてしまうような大きさなのですが、私的にはちょうど良い大きさです。
お肉もカルく噛み切れる柔らかさがいい。

ヒレかつ、醤油ダレ、ノリ、白菜の漬物、トン汁、この味のチームワークが計算されているとしたら、スゴイです。これで780円(税込)。
値段はそれなりだが、美味しさは料金を超えています。(個人的見解です。あと、これは10月メニューらしいです。気になる方はお早めに!)


 美味しさで私を感激せた、このカツ丼が、さらに感動も与えてくれるのです。カツ丼の説明に熱が入りすぎて長くなってしまったので、感動の方は次回お話することにします、悪しからず。

 (したばって「トンカツだっきゃロースだじゃ。脂身ねぇば パサパサって、あんまり美味ぐねっきゃな」ってす人、私(わ)の周りさも たんげ いるんだばって、私(わ)だばヒレ派だ。 脂なんも無ぇ方がいい。人の好みって、それぞれだ もんだっきゃな。あの美味(め)ぇナスごと好ぎでねってす人もいるはんでな。あっ、今度ナスの事も書がねば まねな。)

 

2011年10月7日(金)
あはれ蚊

 仕事を終えてマンションに戻り、今朝干して出た洗濯物をベランダから取り込んだ。秋とはいえ、狭いワンルームは、早足で歩き帰った我が身には、少し暑く感じ、そよそよと吹き入る風が心地よい。レースのカーテンがそよぐ様も目に楽しく、開けた戸は、しばらくそのままにしておいた。

 しかし、蚊の侵入を許してしまった。なにもアミ戸まで開けっぴろげておくことは、なかったのである。


 物静かに微笑む女性にも似て、静かに揺れるレースのカーテンに見惚れ、迂闊(うかつ)にもその向こうのアミ戸を閉めるのを忘れていた。女はコワイ。


 わずかに「あはれ蚊」という言葉が頭をよぎった。古来、日本人は秋に力なく飛ぶ蚊を哀れに思い、殺生することを躊躇(ためら)ったという。いや、時刻も日代わりの頃、睡眠の邪魔をされては不愉快だ。わび・さび・いとおかしなど、気にしている場合ではない。

 そう思ったときには、もうそいつの姿はなく、しかたなく電池式蚊取り機のスイッチを入れ置いた。
 しばらくすると、脚(よろた)のあたりがモゾモゾ!!やはり、ヤツはこちらの隙を狙っていたのだ。ヤツも殺気に気づいたか、サッと飛び逃げた。なにが「あはれ蚊」だ、動きも素早いではないか!

 しかし、ここで問題は、ヤツを仕留める場所だ。壁に留まったヤツをつぶすと、壁が汚れてしまう。マズイことに我が家の壁は真っ白。パソコンは複雑な形にデコボコしていて、そこをたたいても仕留められまい。第一壊しては悲しい。だが、マゴマゴしていると、またヤツが気配を消してしまう。う〜ん。

 頭の中をいろんなことがグルグル駆け回る。

 その時、ヤツが格好の位置に出てきた。ベッドと机の間、高さはヒザからお腹あたり。このチャンスを逃す訳にはいかない!立ち上がり、ヤツに向かって、右と左の手の平をバチンとあわせる。その勢いは、ウチの奥さんが怒って閉めた扉くらいはあっただろうか。


 左右の手の平がジンジンする。やったか?
 そっと手を開く。ヤツは息絶えていた。赤いモノも出ている。すこしかわいそうだったかな?
 って、いや、これは刺され吸われた私の血だ(ちなみに、変わり者のAB型)。
 ああ、くやしい!しっかり2カ所もやられていた。私に雅(みやび)な心は楽しめない。

 
(たまに わんつかだば、虫さ喰われで、体内さ毒入れだ方が良いんた気も すんず。いらねぐ花粉症だの、免疫力、自然治癒力(ちゆりょく)の低下になねんで ねべが。したばって、左肘(ひじ)の先端も 刺さいだんず!なして、よりによって こした所(どご)・・・。
 指だの、肘(ひじ)だの、関節の先 喰(か)いれば、痒(け)んだが痛(いで)んだが、たんだでねんだいな。なんぼまんだ。)


2011年10月5日(水)
「聖徳太子の五千円札」

 先回まで、硬貨や古銭のことを書いていました。じゃあ、お札はどうなんだいってことになるが、もちろん個人的には大好き(?)。ただ、希少品としての額面以上の価値となると硬貨ほど上がらないようです。
ある本の説明によると、お札は折れ曲がり、しわができやすいから、額面以上の価値は期待しにくいんですと。だから、今でも通信販売でお札の額入りコレクションなんかが普通に販売されてるんだろうな。
そういう自分も、岩倉具視の五百円札や、板垣退助の百円札はピン札何枚か持ってます。ですが、まだあまり価値は上がっていないようです。いつかボーンと価値が上がることを望んでいます。


 ところで聖徳太子の五千円札って、記憶にありますか?。
 一万円札なら福沢諭吉さんの前任者(?)で、かなりご記憶の方も多いと思いますが、五千円札ってどうですか?自分と同じ年代の人でも、記憶に無いって人結構いますよ。

 あれは中学生になってはじめての正月、大好きなおじさんとおばさんからマッコを貰いました。いつも、自分や妹の、誕生日に、クリスマスに、お正月にと、プレゼントやマッコをいただいておりました。たいへん感謝しております。

 自分には厚手のお年玉袋を、妹には薄い方を、それぞれいただきました。幸せなお正月風景です。ところが、事件はおじさんとおばさんが帰った後に起きました。

 開けてみると自分の袋の中身は三千円。妹の袋には五千円でした。妹は狂喜乱舞。そうです、妹の袋は五千円札が一枚で、自分のは千円札が三枚、おばさんは袋の厚さで判断し、それぞれ手渡したのです。

 母親は、自分の猛烈な抗議を聞き入れ、妹に中身を交換するように指示したのでした。妹は泣く泣く(本当に泣きじゃくっていました。今思うとかわいそうです)交換に応じました。そうです、その時の五千円札が聖徳太子でしたので、強烈なインパクトで記憶しています。

 (聖徳太子の一万円札も五千円札も、ほがのお札より、わんつか でっけがったんでねべが。社会人になって すんぐどのあだり、弘前の鍛冶町で飲んでタクシーで帰った時、四千円ちょっとのタクシー料金さ聖徳太子の五千円札で払ったっきゃ、五千なんぼのお釣りきたごとあるんず。たぶん暗れがったはんで、運転手さん一万円札ど間違ったんだべな。したばって、私(わ)も気ぃついで、ちゃんとしゃべったや。私(わ)がんぶだばって、その辺だば堅ぇんだね。聖徳太子五千円札見だの、あのあだりが最後だったべな。)

2011年9月30日(金)
寛永通宝(かんえいつうほう)

 古銭である。寛永年間から幕末まで通用した貨幣らしい。

 実家の部屋に、2枚ある。でも、その2枚の材質が違う。たぶん、一文銭と四文銭だ。


 薄くて材質の悪い方は、自分で見つけた。材質の良さげな金色に見える方は、妹からもらった。

どちらも小学生の頃で、発見場所は実家の裏庭。家の人はみんな
「かぐぢ」と呼んでいたところ。
自分や妹の子どもの頃の遊び場で、自転車でも走り回っていたのだから、結構な広さだったなぁ。木や草が生い茂っていて、奥の方は林のようだった。


 虫もたくさんいました。トンボだけでも数種類。羽の先が黒い、普通のトンボ(正式名称は知りません)や、シオカラトンボ、ムギワラトンボなんかは珍しくなかった。さすがにギンヤンマやオニヤンマは2〜3回しか見たことがないか。夏になると耳がおかしくなるくらいセミが鳴いてたし、秋には虫アミを無造作に振り回すだけで赤トンボが勝手にアミに入っていたくらいたくさん飛んでいたのをおぼえている、そんな所。

 話は少しワキにそれましたが、不思議なのは、寛永通宝を自分で見つけた時も、妹が拾った時も、普通に落ちていたということ。掘り出した訳でもなく、落ち葉や朽木の下になっていた訳でもなく、誰かが置いたようにポンとそこに落ちていた。そんな100年以上前に流通していた古銭が、なぜ、そこに普通に落ちている?超常現象?タイムスリップ?それとも隣家の誰かが投げ込んだのか?ただし、その古銭、残念ながら価値的にはそんなに高価ではないようだが・・・。

 誰か同じような経験をした方はいるだろうか?う〜ん・・・謎だ。

 (したばって、わんつか ばがくせぇんず。なして妹拾った方が四文で、私(わ)見つけだのが一文だったんだべ。まあ、貰ったんだはんで良いばってよ。まんだ低学年だった妹さだば、おはじき一つ拾ったくらいの価値だったんだべな。私(わ)が見せろって、マジマジど見でったっきゃ、「ける」ってしたもんだ。猫に小判、妹に古銭だでばな。)


2011年9月26日(月)
平成23年の100円玉

 財布の小銭を確認したら、きれいな100円玉があった。ピカピカで他の小銭より目立っていた。(こしたのも“異彩を放つ”ってすんだべが?)
 見るとやはり『平成23年』の刻印。今年出来たばっかりじゃん。ピカピカの新しい小銭をみつけると、なんか嬉しい!だが、気づいてしまうと使うには思い切りが必要だ(貧乏性でさね)

 小銭入れの中には『平成二十二年』の1円玉もあったが、アルミニウム製の1円玉は劣化するのが早いらしく、1年しか製造が違わないのに、そんなに目立ってきれいでもなかった。

(これで気ぃ付いだんだばって、製造年表示は、100円玉が洋数字で、1円玉が漢数字だったんだじゃ。知らねがった。したばって、なして違るんだべ?ちなみに、50円玉は洋数字で、500円玉、10円玉、5円玉は漢数字)


 中学生の頃、硬貨は製造年によっては(もちろん状態にもよる)、何倍もの価値があるということを知った。

 『未使用』が条件になるのだが、当時、日本の硬貨で一番価値があるとされていたのが、東京オリンピック記念の1000円硬貨で、約10000円の値がつくものもあるという。もっとびっくりしたのは、5円玉の昭和32年、同33年のものは未使用で5000円〜8000円くらいの価値があるとされていた。

 一攫千金を夢見て、砂金を求めた西部の男たちのように、はたまた、徳川家の埋蔵金を探したTV番組のように、自宅商店の金庫の小銭を漁(あさ)ったのでした(少し大げさになりました)。


 今考えると、店番をしていた“お婆ちゃ”は、小銭(ダラッコ)とはいえ、よく店のお金(ジェンコ)を漁っていた自分を許してくれたものです。

 そして、たった1枚だけ、昭和32年の5円玉を見つけました。やったぁ!!しかし、その状態は、真っ黒な、下の下モノでした。誰か火事場から持ってきたのか、それとも火で炙(あぶ)って遊んだものか・・・?それでも、見つけた時はうれしかったなぁ。宝モノを手に入れたように興奮していたのをおぼえています。初めてカラスアゲハを捕まえた時と同じくらいの興奮だったなぁ。


 そして、あれ以来、昭和32年の5円玉には、お目にかかって無いのです。

 
なして価値高げがってせば、その年の発行枚数がすごぐ少ねがったんだど。10円玉もこの2年間のもの、高価だんだじゃ。あど、昭和12年・35年・62年の50円、昭和六十二年の500円も他のものより高価らしい。そしてみれば、こないだ、本当に久しぶりに2千円札見だのさ。これは、あんまり・・・。

2011年9月22日(木)
堀文子(ほり・ふみこ)さんという人

 「群れない。頼らない。慣れない」ということを信条としている画家の女性だ。

 テレビでたまたま、堀さんの特集番組を見た。
 「私は認められようなんて思ってないんです」と言う。文字として紙に書いたり、話すトーンを変えたら、ものすごく強烈な人間の拒絶ともとれる言葉。そんなことをにこやかに、さらりと、実に嫌味なく話す。93歳という年齢だけではない何かが言葉をコーティングしているのだろう。笑顔で話す姿が実にかわいらしいのだ。

 その画風、作風は自らを一つところに留め置かない。若い頃から誰にも師事せずに日本画、油絵などを描き、最近は切り絵の美を楽しんでいるという。作品を作る姿は、常に自分にとっての新しい美を表現しようとしていて、しかも、ただその一点を目指すのみ。

 若い頃に描いた絵をみて「これはスゴイ!どうやって描いたのかしら?」と、まるで他人を誉めるように自分の若い頃の表現を賞賛する。それが、ためらいなく、確かに自然体なのだからどうにもしようがない。

 孤高でありながら、さらなる孤高を求める、その生き方はかっこいいと思う。しかし、自分のような凡夫には追い求めても無理な領域で、ハナから目指さない。孤独はおっかないもの。

 堀さんは、ひれ伏す凡夫に、なお、たおやかに衝撃を与える。

 「老年に甘えている暇などないのだ」

 黒石市生まれの作家、吉澤(よしざわ)みつさん。弘前市生まれの画家、佐野(さの)ぬいさん。おふたりもその名を知られる円熟の女性芸術家。堀さんの我が道≠烽ゥっちゃましい事あったど思うばって、おふたりの方も、師匠だの、ライバルだの、評論家だの、様々だ人達ど折り合ってきたのも、たんだでねがったびょん。

 結局、三人みんな、それそのものの才能ど、かっちゃくちゃね事も気になねぇくらいその道≠ニば好ぎになるにいい才能とば、両方持ってあったんだべな。

 して、その二つ才能持った人ごと、私(わ)だけんた凡夫が『天才』って呼(よ)ばるんだべな。



2011年9月3日(土)
いまだに、おもわず・・・

 つい先日、夏が来たと思ったら、もう9月だ。台風12号の速度は、かなり遅いようだが、時間の進み方は年々早くなっているように感じる。(歳(とし)だんだね!ってす、ツッコミ聞けできました。ありがとうございます)

 東京に住むようになって1年半になるのか。でもまだ、いろんなことに慣れない。
女性の近くはチカンに間違われないか、ものすごぉく気を遣う満員電車(汗くさいオッサンのそばもイヤ!)。
自分でトレーを持ちながら、コーヒーとミルク、砂糖などを載せ、空いている席を探さなければならない喫茶店。
お店や建物の出入り口が、歩道に面しているので
ベロっと出てこられるとびっくり。自分で出る時には、歩く人が多いので、歩行者の切れ目をみつけて、エイッと出なければいけない。

 「自分でだば、もう、たんげ標準語になってまったつもりだばって、横(わぎ)からベロッと出て来らいれば いまだにワイッ≠ト喋らさるんず。
あど、満員電車の背(じゃま)でっけぇ人のそばもイヤ。肩だの背中(へなか)だの目の前さあるの イヤだ」


2011年8月26日(金)
「黒石こけし号」その2

 さて、「こけし号」に乗り込むとすぐに、運転手さんからアンケートを渡された。おおよそ質問は、このバスを使用する理由だとか、どこで降りるか(停留所は新青森のほかは、津軽こみせ駅、温湯、津軽伝承工芸館、虹の湖公園)とかだった。
1日3往復するこのバスは「新青森駅から黒石温泉郷へ70分」というふれこみ。
(虹の湖公園さ、そのうぢ1本しか行がねはんで 気ぃつけねばまねな。だばって、虹の湖さ15時10分に着いで、16時に発だんだって。あんまり遊んで居らいねな)

 アンケートの中に「観光案内DVDはどうでしたか?」とかいう項目もあって、上映をワクワクしながら待っていた。
しばらくすると、その境香織さんが進行役の映像が上映された。

黒石よされ、火流しなどが紹介されていたのだが、祭り開催日、開催場所などが無かったのが少し残念だった。


 黒石つゆ焼きそばも大々的に紹介している。
最近はお店によって様々な種類のものが提供されているらしい。
地域の人が熱演しているコントのような紹介はおもしろかった。
しかし、津軽弁で会話をする演技は、下に流れる字幕も津軽弁表記だった。
県外のお客さんはチンプンカンプンなのでは?いいのかな?母国語が津軽弁の私は、その辺もたいへん可笑しかったのですが・・・。


 「アンケートさ、『今後有料にすんだば、ナンボだば乗る?』ってす項目もあって、ワだば500円≠チて書いだ。ズルして新幹線さ乗ね人も使うがもわがねばって、停留所決まってらし、観光地さ乗って行ぐんだはんで、いいんでねが。そいど、もう少し新幹線の時間さ合わせだ発着で、本数増やしてケればいいなぁ、500円払うはんで。(安して まいべが?)

2011年8月24日(水)
「黒石こけし号」その1

 夏休みをいただき、一週間ほど故郷黒石に帰省しておりました。地元の友人達と旧交を温めていた・・・といえば聞こえはいいのですが、ずっぱど飲みっぱなしでした。(苦笑)

 

で、ついに乗りました「黒石こけし号」。

新青森駅と黒石を結ぶ無料シャトルバスです。


 東北新幹線を利用すると乗ることができます。
何度も言います。無料です。




 新青森駅に着いて、バス発車まで40分以上あったので、駅の中で冷やしたぬきソバを食べました。美味しかったです。
更に、新青森駅の土産物屋さんにはどんなものが並んでいるのかなぁと入ってみたり、それでも15分くらい時間がありました。


 まだ早かったのですが南口バスプールに下りてみると、フロントガラスに「こけし号」と書かれたバスがいるではありませんか。(こけしの絵が車体に描かれていることもなく、屋根にこけしが立っているわけでもなく、外観も中も普通の弘南バスです。あたりまえか。)

 まだ、乗車できなかったので
「失敗!15分も屋外(おもで)さいれば熱中症(はぐらん)おごしてまるべな」と思ったが、そこは熱帯東京とは違い、青森は太陽の光が降り注いでいても爽やかな風が心地よかったのでした。

 発車時間だ。乗り込むと乗客は私ひとり、貸し切り状態です。なんという贅沢・・・というか、寂しい。黒石で地元の人に聞いてみると、ほとんどの人は「黒石こけし号」の存在を知らなかった。


 「まんず、新幹線乗ねば こけし号使わいねんだはんで、地元さ宣伝しても駄目(まね)って思ったがもわがねばって、地元の人知らねば誰も(だんも)わがねんでねべが?お金かげねくてもいいはんで、地元さもPRすべしぃ。」

2011年8月9日(火)
東京だば、はぐらん 起こしてまるじゃ

 みなさま、お久しぶりです。
 しばらく仕事に追われ、「がんぶ」になれませんでした。スミマセン。

 しかし、今日の東京は暑いっ。33℃〜34℃くらいなので、まだ、昨年の夏ほどではないと思われるが、でもやっぱり暑いっ!ツライ日なたは避けて、日陰を選んで歩いていました。(私の人生のようです。日なたはまぶしすぎます。)



 写真は築地の祝公園(名前がすばらしい!祝橋のたもとにある)の、お昼頃のようす。よく見ると、人と一緒に鳩も木陰に集まっている。


 「今日だっきゃ、駄目(まね)って。この後、新橋で具合悪ぐなって、あわくって飲み物買って飲んだぉん。なんぼ鳩でも木陰さ居ねばだっきゃ。でもやっぱし人ど同じぐ日陰さ逃げでる鳩見んだっきゃ、 おもしぇくて 写真撮ってまった♪」

2011年7月1日(金)
おろぉ、蓬莱橋あるでゃあ!

 東京銀座は昭和通りのはじっこ。

新橋と境目あたりの歩道橋前で「蓬莱橋」の表示をみつけた。

東京銀座にもあるんだ。なんかうれしい。


 弘前では土淵川の上にかかる、繁華街土手町のシンボル。



日本には複数の蓬莱橋があるらしく、なかでも最も有名な蓬莱橋は、静岡県島田市、大井川にかかる、世界一の長さを誇る木造歩道橋の蓬莱橋だそうだ。


 蓬莱とは、古代中国では仙人伝説の神山のひとつ。不老不死の象徴のような、縁起の良い名称らしい。どうりで全国で使われているはずだ。


 人の名前でも、また・・・。
 東北地方の大きな新聞社の副部長さんと名刺交換をしていただき、名前を見ると「石名坂さん」。

 おお、黒石市出身の私には、なんてなじみの深い響きでしょう。黒石に実在する地名は身近だったが、名字でみたのは初めて。うれしくて、勝手に親近感を感じてしまいました。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。(石名坂さん、勝手に名前をつかってしまいました。申し訳ございません。)

 
「どっちも、なんだが東京で同郷の友達(けやぐ)ど 行(い)ぎ会(あ)ったんた感じで、がんぶだ私(わ)の顔も ほんわかしてあったびょん。」

2011年6月28日(火)
虫がいる

 どうやら日本人の体の中には虫がいるらしい。

 ジャンボ宝くじの当選発表が近づいたある日、我が身にとても良いことがあり、そのとき「これは、宝くじの分の運を使ってしまったか?しょうがない、3億円当たらなくても、1000万円でも当たればいいや」と、考えている自分がいた。


 怒らないでください。直後、なんて“虫のいいこと”を考えているんだ!と自分でも反省しましたから。そして、そんな虫のいいことはないのです。当たったのは300円が一枚でしたから。

 で、虫が体内に潜んでいることをあらためて意識したのです。
 ときに虫の居所が悪かったり、カンの虫が騒いだり、腹の虫が納まらなかったり(何故か、腹の虫が「納まる・納まった」とは言わないが)、虫の知らせがあったり・・・。

 自分や他人の感情的な言動、行動、第六感的な判断は理屈では理解し難く、体内に虫が居て、その虫のせいだとしたのでしょう。古来、日本人は粋です。でも、「虫のいいこと」とは言いますが、いい虫はいないようです・・・。

 懲りずにサマージャンボに賭けたいと思っています。

 「五所川原さ『虫おくり』ってす祭りあるんだばって、あれは農作物を食い荒らす害虫や、疫病ごと龍だけんた姿の虫にみたてて作り、町中を練り歩き、最後には燃やして退治する祭り。
したばって「虫退治」でねくて「虫おくり」だんだ。 まんず、粋だねな。」

2011年6月17日(金)
ロッテガム

 ロッテはガム界のオピニオンリーダーだんで ねべが。ペンギンガムだっきゃ、歴史さ残る逸品だや!今だば、そう思ってらばって・・・。

 ものごころ付いたころ、ウチはタバコ屋だった(黒石の実家。現在は廃業)。でも売ってたのはタバコだけじゃなかった。

 四角く固められた塩や、一升瓶に詰まった醤油、鉛筆や消しゴム、習字道具などの文房具、そして、「お口の恋人LOTTE」の、ガムとチョコレートなんかもガラスケースに陳列されていた。たしか、専用ケースがあって、扇形に立てて並べられていたような気がする。


 ガムは、当時10円か20円くらいで、パッケージにマンガが描かれてた子供用のすっごく甘いヤツと、クールミント(ペンギン)ガム、グリーンガムなどがあった。

 いつも店番をしていた祖母を家族はみんな「お婆(ば)ちゃ」と呼んでいた。そのお婆ちゃはグリーンやペンギンを「ハッカのガム」と言ってた。

 小学1年生くらいだった自分は、パッケージのペンギンがかわいくて、きっと美味しいガムなんだと勝手に思い、お婆ちゃに、ペンギンのガムが食いたいからくれろとねだったんだ。せめてグリーンガムにしとけば、よかったものを・・・。

 「騙さいだど思ったじゃ。めごいペンギンのガム、あいだけ暴力的だ味だって、想像もしてねがったじゃよ。すぐ口がら出したっきゃ、お婆ちゃさ『いだわしぃ!』って叱らいでまった。真っ赤だソノシート(薄くてペラペラのレコード)で、トッポジージョの歌聴いでったくらい昔で、わらすっこだった頃だものなぁ。」

2011年6月14日(火)
「東京の食(く)ぅ物、美味(めぇ)や。美味(めぇ)ばってよ・・・」

 自分的には高額な、千円のうなぎ弁当を筑地で買った。筑地ですよ、筑地!あの魚河岸で有名な。

食べると・・・たしかに美味しい。美味しいんだけど、期待したほどではなかった。そういうことってあるよね?


 千円ですよ。うなぎですよ。しかも築地ですよ。少しだけ納得いかない。
 例えていうなら、アメリカで大リーグのゲームを見に行ったら、松井秀喜が3打数2安打。でも2本ともシングルヒットだった。ホームラン見たかったのに・・・とか、そんな感じ。

 で、食べながら、「弁当」で美味しいのはたくさんあったが、印象深い弁当を挙げろと言われたら何だろうと考えた。

 まず、大阪はJR天王寺駅構内で売られていた「幕の内弁当」。同じくJR新潟駅ホームで売っていた「トンカツ弁当」。そして青森県はGしょがわら市のHまわり弁当さんの「鶏カラアゲ弁当」(陸奥新報では広告でお世話になっている会社さんがたくさんあります。表記にクリアな感じがないのはご了承ください・・・)の三つ。ちなみに価格は全部覚えておりません。無頓着な私です。

 天王寺幕の内は、全てがしっとりで、パサパサしておらず美味しいものばかり。その上味のバランスがよかったなあ。

 新潟トンカツ弁当は、何がいいって、ヒレカツそのものも美味しいのだが、カツにかける調味料の“タレ”。ソースでも醤油でもなく甘じょっぱいタレがいい。私はテンプラでも揚げたてパリパリよりも少し時間が経ったシナシナが大好き。カップうどんの「サクサク」もイヤ。たっぷりタレやツユを吸ったテンプラや天カスが好きなのさ。大き目の容器で付いてくる、浸すほどたっぷりかけられるタレは、自分的にストライクゾーンど真ん中だった。


 そして、Hまわり弁当のカラアゲはジューシーで絶品なうえに、弁当のフタが閉まりきらないほどの、驚きの個数がうれしい。6〜7コ入ってた気がする。

 「そった事ばり考えながら喰ってらはんで、メグネんでねなして。って、自分でも思ってらんず」

2011年6月7日(火)
身体のどっかさ、たんげ 気つけねば見えねんた 毛生えでね?

 先日、腕に毛が生えているのを見つけた。 
 男なら腕に毛の1本や2本あるだろう?とお思いのあなた、それは違うんです。とても人間のそれとは思えないくらい透明に近い白さと細さ。
黒っぽいものに翳し、光の具合も気にしないと見失うくらい細くて白いんです。10センチくらいと、割りと長いのだが、少し引っ張ったくらいでは、抜けず、切れず。結構根性のあるヤツ。


 右の二の腕あたりに揺れるヤツを切らねばなるまいと、慣れない左手にハサミを持った。決して見失うまいと、ハサミと毛を交互に確認しながら、それでも一瞬見失いかけながら、やっと切り落とした。直後、少しの間、息をしていなかった自分に気づく。

 思い返してみると、この厄介な細くて白い毛をここ7〜8年くらいで2本目、いや、3本目かな?処理している。

 最初に見つけたのは左の背中、肩甲骨のあたり。痒くてかいていたら、指にモシャモシャ絡んでくる細い糸の感触があり、ティーシャツの糸かなんかだと思っていた。2、3度同じ場所にそれを感じたので、ある日鏡で確認すると、細く白い毛がそこに生えていた。ちょっと目を離すと見失うのだ。場所が場所だけに自分でなんとかできるはずもなく、暫くその辺が痒いと感じるたびに、また指先に感じていた。そのときのヤツは15センチはあったと記憶している。ヤツを見失いにくい天気の良い日中、偶然ヤツをつかみ、嫁さんに切ってもらった。

 このときは切るのを少し躊躇った。一本だけ長く生えている毛は「幸運の毛」だって、誰かが言ってなかったっけ?とか考えちゃってさ。でも抜くんじゃないからまた伸びると思って切っちゃいました。それから、別に不幸な目にも遭わず、今まで生きてきましたので、切るのはまマズくなかったみたいです。それから伸びてもないみたいだけど。

 そのままにしてたら、今よりもっと幸せな人生を歩んでいたかもしれないが、それは今となっては確認のしようがないこと。とは思いながら、実は今回も切るのを少しためらった私です。


 「誰(だい)が、白ぐ細ぇ毛生えでらの残してらっきゃ、こらほんど良い事あったってす人いるべが?ってすが、まんず、白ぐ細ぇ毛、私(わ)さも生えでらってす人いるんだべが?」

2011年6月3日(金)
節電さねばまね。わがってらばって、暑(あっつ)じゃよ、東京の夏だっきゃ!

 日本全国総節電。いいことだ。贅沢すぎるんだよ、今は。昔はみんなそうだったじゃないか、という。
 しかし、正直ありがたいことではないかもしれない。

 今年は6月に入っても涼しいくらいだから、今はまだいいとして、これから昨夏のような暑さで来られようものなら、仕事にならない。それどころか、生活にも支障をきたすのは必至。


 半袖にノーネクタイ。クールビズである。夏はそれでも汗が出る、当然。今、イヤなことを思い出している。

 昨年、猛暑のある日、取引先のかわいい女性が、すれ違う自分を呼び止めようと私の腕に手を伸ばした。しかし、あろうことか咄嗟(とっさ)に自分の腕を引いてしまったのです。


 腕に触れそうな、彼女の白魚のような指が見えたとき「腕さ、がっぱど 汗かいでらはんで、不快だ思いさせればまね!」と瞬時に判断。
良かれと反射的に腕を引いたのですが、ハッと気づいたときにはもう遅く、彼女にはもっと不快な思いをさせてしまったのです。


 いつもは笑顔の彼女が、このときは無表情で要件を伝え、それから私に笑顔を見せてはくれなくなりましたとサ。
 やっぱり節電、ありがたいことではない。

 「こした がんぶだ私(ワ)だばって、なして要(い)らねぐ 反射神経だば良(い)いんだべ?」

2011年5月27日(金)
他人(ひと)の目の前、通るもんでねぇや!

 東京で暮らし始めてから、ほぼ毎日不愉快に思っていることがある。
 駅のホームで電車を待つとき、一番前で待っていると、立ってる自分のすぐ目の前を通っていくヤツがいる。思わずその人の顔を見てしまう。背の低い部類に入る私の、この低い鼻の先ギリギリを見知らぬ人の肩がかすめていく。ただでさえムッとするのだが、ケータイを直視したまま通っていくヤツには特に腹が立つ。

 まあ、東京というところは、青森ではお祭り以外ではありえないようなたくさんの人がいる。狭いホームは歩くスペースもそこしかないし、しょうがないのかと一時(いっとき)自分を納得させもしたが、時には後ろが空いていても人の前を通るヤツがいる。どうも状況によってしょうがなく許されていることが、いつの間にか普通のことだと勘違いしてるヤツがいるようだ。

 いや、人の多い東京は、どこを通っても常に誰かの鼻先を通ることになるのか?人の目の前ではない通り道を探しながら歩くことは至難の業なのかもしれない。

 いやいや、よしんばそうだとしても、少しは“申し訳ない”って顔して通って欲しい。そうは思わないか?ケータイ見ながら歩いてるヤツ!

 常識ある青森県人の私は、誓ってなるべく人の後ろを通るようにしているっ!

 「したばって、綺麗(きれがだ)だ女(おなご)の人が すんぐ目の前とば 通って、たんげ良(い)い匂いしたりせば、なんが得したんた気もすんず。そいだば、許すんだばって・・・まね べが。」

2011年5月24日(火)
スタジアム弁当(1,300円)食った。美味(め)がった。

 東京名所のひとつ、東京ドームに行きました。
 野球は・・・やっぱりプロはすごいです。が、今回は弁当の話です。

 


 どーせ、東京ドームで食うからには、他では食えない弁当をとチョイスしました。

1300円は普通なら手を出さない値段ですが、こういう特別なところだと何も考えず買い求めてしまいます。
しかも、1杯800円のビールと合わせ買うと2100円、がんばりました。

なんか、「ドカベン」や「あぶさん」を描いた、水島新司先生の野球マンガで、見たことがあるような球場弁当です。
それ以外ではありえない作りです。それだけに感激。
ご飯よりオカズの割合がダンゼン多く、贅沢感もあり満足です。


 食べている途中で気づいたのですが、弁当上部にスコアボードがあるんです。
細かいところまでの遊び心にも感心ました。さすが東京ドームです。





 余談ですが、ドームの中は少しだけ蒸し暑かったんですが、ここでは選手が活躍するたびに、観客がオレンジ色のタオルをグルグル回します。すると程よい風が巻き起こり、つかの間涼しくなります。この球場でのゲームは、節電のためにオレンジうさぎの球団選手にがんばっていただきたいと、このときは思いました。(他球団ファンの方には、いまいましいかもしれませんが・・・)


 「応援球団で席パキッと分がいでねぇ部分さ座ったんだばって、やっぱり9割方オレンジうさぎ球団のファン。その中で、超でっただ声で違うチーム応援してら人いだんだって。
ラミレス、ラミレスの大合唱の中で、ひとりだけ、シモヤナギ〜って叫(さが)んであったぉん。根性ある人だなって思うばって、居辛(いにぐ)いしてあったべな。そいでも楽(おも)しぇがったんだべが?」


2011年5月20日(金)
私(わ)だっきゃ、津軽弁喋るにいいんだや

 もちろん、物心ついた頃から喋って育ったので、ネイティブな津軽弁を話すことができるんだぜ、という自慢でもある。(東京さいれば、誰(だい)だかんだ 喋らいねんだや)

 でもこの東京で、誰に気兼ねすることなく津軽弁で会話できる職場にいるってことにも感謝してるし、自慢だ。


 一緒にいるのは、大鰐町、つがる市(木造)、黒石市、弘前市の出身者。非常に居心地良し!私たちだけ、どうもすみませんねって感じ。
 だって言葉って大事だっていうよ。東京で働くことになった日から24時間、毎日慣れない標準語を聞いて、話してたら、やっぱり少しは気分が落ち込むかも。人は会話をするってことで精神のバランスとれてるんだって聞いたことがあるし・・・。

黒石よされ、踊ったんず!


 先日、東京黒石会の集まりに出席しました。
このときばかりは、みんな大声の津軽弁で会話。
会場は半蔵門、東京のど真ん中。なのに津軽弁飛び交うスペースがそこにあり、その場にいることが妙に楽しい。学生時代、文化祭の準備で夜中まで仲間と学校にいる、そんな非日常のワクワク感に似ているのかな。


 そんな訳で、東京にいながら、毎日津軽弁で会話できるってことは、結構幸せなんだなあって思います。

 「したはんで私(わ)、久しぶりに地元さ帰っても、がんぶだまんまで 垢抜げねのは、しょうがねんだね。かにしてけ。」

2011年5月17日(火)
チョコレートって、美味(め)っきゃな!

甘いものが好きだ。
 和菓子、洋菓子、両方大好き。お酒も少し嗜む方なので、年齢(とし)とともに肝臓にも気配りをしなければと思っている。

 チョコレートも大好きで、小学生の頃、どこのメーカーが一番おいしいか友人と議論をたたかわせたが、明治、森永、ロッテ、グリコの4大メーカーは、さすがに甲乙付け難いということで落ち着いたと記憶している。

 小学校時代には非常に重要な「遠足」というイベントが存在した。経費に厳しい制限があったとはいえ、そこではお菓子が大きなポイントを握るのである(バナナはお菓子に入らない・・・というアレである)。限られた経費の中でどんなメンバーをチョイスするか、各人のセンスが問われるのだ。私の場合は、母親には申し訳ないが、お弁当よりもお菓子こそがその遠足の出来、不出来を左右すると言っても過言ではない。


 チョコレートは、当然その中でもレギュラーの座を不動のものとしてはいるのだが、チョコレートばかり選ぶ、あるいは、その比率が大き過ぎると、それは失敗と言わざるを得ない。野球チームも、ホームランバッターばかりをかき集めても、決して成功しないという過去もあるようだ。

 まず、彼らは溶ける。そのことを念頭におかないと、気温によっては食べにくいばかりか、後でたいへんなめに遭うことになる。なによりチョコばかりだと
あぐばったい!そして、チョコは持ったまま遊べないのである。

 しかし、この弱点を克服した「グリコ ペロティ」という優れものもあった。一口サイズ、ペロペロキャンディーのような形が特徴。表側はホワイトチョコ、裏側にオーソドックスなチョコを配置し、表には楽しいマンガが描かれていて、食べるのがもったいないと思うこともあった。持ち手はプラスチックで、全体になめらかに仕上げられている。チョコを食べきり、残ったもち手だけをしゃぶっていても不快な思いはした記憶がない。描かれているマンガも、持ち手、味など、全てに子供だましは許さない、製作者の“こだわり”があったのだろう。さすが一流どころ。

つい、3種類買ってしまいました。
明治ですが・・・


 そういえば、現在売り場ではあまり見かけないようだ。グリコさんはもう作っていないのだろうか?一抹の寂しさを禁じえない。

 
「思い出すなぁ。小学校の私(わ)、ペロティのパッケージの裏張り剥(は)がす時(とぎ)、たんげワクワクしてあったんず。」

2011年5月12日(木)
綿ごみって、どこからくるんだべ?

 単身赴任の身、6畳ほどのワンルームマンションに住んでいる。
 二日に一回はワイパー型床拭き掃除用具で床を拭いている。そして、1週間に1回は掃除機をかけている。無精者を自負する私、実家にいた頃には考えられないことである。
 ほぼ白一色の部屋、床も白なので埃が目立つ。いくら無精者とはいえ、これは気になる。

 で、疑問に思うことがある。あの綿ごみはどこから来るのだろう?常に空気中に出現し、降ってくるとしか考えられない。特にベッドの下、2日分でもワイパーシート横に、1センチほど採れる。どちら様のご家庭でも、こんなに採れるのだろうか?

こらほんど だや


 引っ越してきてすぐは、掃除なんて1、2週間に一回でいいだろうなんて、高をくくっていたが、とんでもなかった。1週間なんてほっておいたら、たいへんなことになる。寝ていて、なんでこんなにカビ臭いんだろうと思っていたら、ベッドの下の綿ごみが犯人だった。(なんが、めぐせ事カミングアウトしてらんで ねべが。)

 白いフローリングは髪の毛が落ちているのも目立つし、そんなこともあって、ワイパー型掃除用具と掃除機の偉大さを再認識した。だからといって、掃除が好きになったわけではないのだが・・・。

 掃除するたびに考える。綿ごみの発生元が知りたい。そこさえなんとかすれば、もしかしたら掃除なんてしなくてもよくなるかも?
 やっぱり、無精なのである。

 「昔、ケサランパサランっていだの 覚(おべ)でらべが。安物のダウンジャケットがら出でくる羽毛が3〜4本つながったぇんた奴(やづ)。あれも綿ごみの一種(けやぐ)だんでねべが?どごがら出てきたが分がねし。違うべが?」

2011年5月9日(月)
中古DVD買ったっきゃ、パッケージど中身(ながみ)違ってあったんず

 仕事の都合により、GWは帰省できませんでした。しかし、何日かは休みがあって、洗濯、掃除などしてたのですが、単身赴任で一人暮らしのうえ、部屋が狭いのですぐに片付いてしまい、こんなときのためにと買っておいた中古のDVDを鑑賞することにしました。

(余談だんだばって、普段 やねばまい事(ごと)いっぱいある時(とぎ)だば、あらほんど眠(ねぷ)てぐなるのに、暇だ時(とぎ)ってがんばって寝るきなっても、眠(ねぷ)てぐなねもんだっきゃな。まんず、人生って 丁度(ちょんど)いぐ なねもんだっきゃ。)

 元世界最強のスパイだった父と母が誘拐され、二人を助けるために、両親が残したスパイグッズで小さな姉と弟が敵と戦う・・・っていう、痛快アクションコメディー。
 ところが、機械にDVDプレートを入れて、本編が始まると、どうも様子が違う。それは、悪政に苦しむ人々のために、どこからともなく現れ、マスクで目の周りを隠してマントを翻し、フェンシングよろしく剣の腕を振るって悪者をやっつける「マ○ク・オブ・ゾ○」っていうヤツだった。

 最初は、DVDによくある映画の予告編かと思ったが、それにしてはクライマックスのシーンではないし、見所の説明も入ってこない。そうか、これは誰かがテレビか夢を見ているという設定の始まり方か?とも思ったが、そうでもないらしい。


 どこでスパイのキッズが出てくるんだろうと20分は辛抱して見ていた私に、結構鈍いと自分でも思う。

 すぐにでも店に行って、文句のひとつでも言ってやろうかとも思ったが、枕を、映画を見るベストなポジションにし、すっかりくつろぎの体勢でベッドに横になっていたし、一期一会を大切にする私は、これも何かの縁と思い、最後まで見ることにした。(本当は、せっかくだはんで 全部見でがら ばぐって貰う きなってさ。そへば、1作分の料金(じぇんこ)で2作見るにいいはんで、かえってラッキーだでばな!ってす 卑しい考えであったんず。)

 「ゾ○」はストーリー的には無理のある部分とかもあったけど、後半はおもしろく鑑賞できました。

 「結局、店さ 行ったっきゃ、その映画のストック無くて、返金づ事に。わんつか ガッカリしてまったんず。」


2011年5月6日(金)
ユーミンって、たんげ かっけぇ
昔からユーミン、松任谷由実さんのファンだ。
 「中央フリーウェイ」「埠頭を渡る風」「卒業写真」なんかの時代が特に好き。まだ荒井由実さんだった頃の歌かな?
 ユーミンは歌謡曲とはあきらかに違う、かといってフォークソングでもない、はじめてニューミュージックというジャンルで呼ばれた人なんじゃないかな。LPレコードも4、5枚持っている(今でも実家の部屋さ、あるや)。このジャケットがまた都会的でかっこよかった。曲も歌詞も都会のにおいがしていた。
 “シンガーソングライター”。今でもたまに目にするこの呼び名は、あの頃はスゲーかっこよかったんだけど・・・。でも、今も現役なのはすごい。本人は今も昔も、ず〜っとかっこいい女性だ。
 昭和30年代生まれには、ユーミンのすばらしさに共感してくれる人はたくさんいると思う。もしかしたら、当時を東京で過ごし、夜の中央高速を、彼氏や彼女と車でドライブする“中央フリーウェイごっこ”をしたことがあるという人もたくさんいるはず。白状します。実は私も若い頃、弘前で夜の国道7号線を、城東から神田まで車で走りました。二人でカーステレオ(注:カセットテープ)で中央フリーウェイを聞きながら(めぐせ・・・)。

「道路(けんど)の横(わぎ)さ 街燈並んでらだげで、競馬場もビール工場も無(ね)んだばってな(笑)。いいでばな、がんぶでも してみてがったんだね。」
2011年5月2日(月)
オールナイトニッポン

「オールナイトニッポン。ずんぶ、聞いだもんだじゃ。」
 小学校の5、6年だったかな、初めてラジオでオールナイトニッポンを聞いたのは。
 子どもにはあまり奨励されない、深夜に起きているという快感と、オープニングのあの曲「ビター・スウィート・サンバ」が妙に気分を高揚させた。何度かハガキも送ったことがある。東京都千代田区有楽町ニッポン放送。番組で採用されたことは無いけど・・・。
 憧れることしかできない人が、遠い遠いところで喋っている。その声をラジオが聞かせてくれる。それだけでよかったし、それ以上は考えもしなかった。

 あの頃は、スタジオも、放送局も、東京都ですら別世界のように思えた。
 その有楽町に、今なら歩いて行けるんだ。あらためて、そう考えると驚きに似た感動を覚えます。(つがる市木造さも有楽町ってあるんず。見つけた時(とぎ)だば びっくらしたな。「うらくまち」って読むんだばってな♪

 あの頃はよかったなあ。深夜、起きてラジオ聞いてるだけでしあわせだったな。オジサンになった今は、深夜1時なんて、普通に酒飲んで仲間と騒いでる時間だもんな。まあ、それはそれで楽しいけど。(笑)
 今度オールナイトニッポン、久しぶりに聞いてみようと思います。

 「有楽町の駅さ行ぐたんびに それ思い出して、わんつか感動してらんず。私(わ)、がんぶだばって、そった所(どご) 安あがりでいいなって思うんず。」

2011年4月28日(木)
日比谷公会堂って、日比谷公園の中さ あるでばな

日本新聞協会の入っている日本プレスセンタービルから有楽町に向かって歩いていた。ポカポカ陽気につられ、通りかかった日比谷公園に入ってみるとレンガ造りのシックで大きな建物があった。歴史を感じさせるその建造物の正面最上部には「日比谷公会堂」の文字が。「おおっ、ここが、あの・・・」

 子ども心に「日比谷公会堂」と「渋谷公会堂」は、ビッグな歌手のコンサートを行う会場で、あこがれの場所のひとつだった。後に日本武道館や東京ドームに栄光の座を譲るものの、日本で一流どころのコンサートは日比谷・渋谷の公会堂だった。

 どちらかと言えば・・・、当時司会の堺正章さんがハイテンションで番組名を言うオープニング「NTVィ 紅白歌のっ、ベストテン!」の会場だった渋谷公会堂の方に思い入れがあるのですが・・・スミマセン。(修学旅行でそれ見に行って、マチャアキさんさ 紹介してもらいてがったなぁ。)

 そういえば、昔大好きだったマンガ「風呂上がりの夜空に」には、公会堂渋也(しぶや)と公会堂日比也(ひびや)という、重要な登場人物がいる。二人は従兄弟(いとこ)で、主人公、花室もえと松井辰吉を助ける、男気(おとこぎ)あふれるオチャメな男達という設定だ。この渋也さん・日比也さんの名前を思いついた作者、小林じんこさんの感性に脱帽です。


 「私(わ)、日比谷公園で そったごとまんで思い出してらんず。可笑(おが)しっきゃな。」

2011年4月25日(月)
おひさま

おひさま」(っても、NHKさんの、朝の連ドラど関係ねぇはんで)

 一人暮らしで、あらためてわかったことがある。
 朝、気持ちよく目覚める一番の方法は、おひさまの光を部屋に入れること。
 晴れた日は特に気持ちいい。直接日差しが差し込まなくていい。草や木や、建物が朝日に輝いている、それが見えるだけでいい。
 カーテンを開けたとたん、部屋と、部屋にあるもの全てが目を覚ますような気がする。

 部屋が目を覚ますと、自分もこうしていられない、目覚めなきゃ、と身体が思うんだろうな。“一緒に暮らす部屋と、そこにいる小物(なかま)に負けられない”とか、“部屋の小物(なかま)に置いてかれないように、起きなきゃ”っていう感じかな。


 子どもの頃から早起きさせられてたので、目覚めはいい方だと思うし、今でも早起きは苦にしない。でも、そこはやっぱり、けたたましい時計の音や、誰かに無理やり起こされる不愉快さとはまっっったく違う。微(かす)かに聞こえる電車の音もうれしかったりするもの。


 「やっぱり、おひさまって人間さ 必要だんだびょん。動物でも植物でも、モノでも人間でも、イイ男でも 私(わ)だけんた がんぶさでも、誰(だい)さでも平等だおひさまって、すげぇな。

2011年4月18日(月)
三越百貨店。日本橋の方だんだね

 日本橋に行った。
用事を済ませビルを出ると、左手に三越があった。
「ああ、たぶんコッチだ。したはんで だのが!」
快晴のさわやかな日、心もさっきより数段晴れ晴れした。


 職場の近くでよく見るのが、銀座の三越。最初にあの、丸に越のマークを見て、中学の修学旅行で来たっけなと思ったのだが、何か違和感があった。修学旅行で入ったのは、日本橋の方だったんだ。コッチは見覚えがある。

 「東京土産は三越で買うべし。有名だ三越だば、誰(だ)も文句ねべ」
中学生だった自分はそう思って、チョコレートの詰め合わせを買ったんだ。
高級そうな箱に、一口サイズのチョコが一つ一つ仕切られて、宝石みたいに並んでいるヤツ。


 売り場のお姉さんは、田舎から来たと一目でわかる中学生の自分に、それでも丁寧に、そして素敵な笑顔で対応してくれたっけ。
地元のデパートでは見たことの無い、きれいでかっこいい制服、おなかの辺りに置いた手の姿勢で、いらっしゃいませと45度ほどのお辞儀。
田舎から来た中学生は、そんなお姉さんの素敵な笑顔にさえたじろぎました。しかも、コッチは慣れない標準語をつかわなきゃならない。けっこう緊張してたな。


 その田舎の中学生も、今や40を過ぎて久しいオヤジに。
あのお姉さんも、今は・・・。
いやいや、歳はともかく、上品な奥様になってるんだろうな。

 「私(ワ)だけんた がんぶでねぐ、いい男の所(どご)さ嫁にいったんだべな、あのお姉さん。」

2011年4月14日(木)
嚔(くしゃみ)せばだっきゃ、めぐせや。

最近、電車の中で「だぁ!!」という、くしゃみを聞いた。

 くしゃみとしては聞き慣れない声(音?)と、その大きさで、みんなが振り返った。

 口の形や舌の位置や形で、ときに思わぬくしゃみをすることがあるものだ。

 20年以上前、歌舞伎のいち場面であろう「くっさめ」という台詞が印象的なCMがあった。たしか風邪薬のCMだったと思うが、その影響で、わざと「くっさめ!」というくしゃみをするヤツもいた。

「はっくしょん」や「くしょん」が一般的だが、なかには「くっ」で終わる上品?な方も。

下手に出そうなものを堪(こら)えようとすると「くぶふわっ」などと、かえって不衛生なことになり、周りの人に嫌な顔をされる結果にもなるので注意が必要。


実は私(ワ)、最近、がんぶだ「オジサンくしゃみ」になってきたんた気がすんず。