多田野 フー子
☆ハルさんの日常茶飯事
くしゃみはほどほどに

                                                         
ハルさんは目がいい。
視力検査は2.0である。

ある朝の通勤電車でのひとこま。

優先席ではない三人掛けの席に女性三人が座っていた。
ハルさんは、その三人掛け席の前に立っていた。

「ハックション」
ハルさんの隣に立っていたサラリーマン風のおじさんが、大声で思いっきり「くしゃみ」をした。

耳元でくしゃみをされて、耳の奥がキーンとした。
しばらく音が聞こえなくなり「あっ、鼓膜が破れてしまったかも…」と心配してしまった。
ハルさんは、これから何回かあるだろうおじさんの「くしゃみ」を予想し、ドアの方向に少しだけ移動した。

次の駅で何人も乗ってきて、ハルさんとおじさんの間にも若い女性が立った。

髪が黒々した「おじさん」よりは少しお歳を召したその男性は、
ハルさんの期待を裏切ること無く、その後も「くしゃみ」を連発していた。
いいストレス解消なのか、毎回すっきりした表情である。

前の席に座っている女性の表情は、げんなり。
膝上に置いたバッグの上で、モールス信号を打ち始めた。

「はぁ〜くしょん」
ひときわ大きな「くしゃみ」の後、立っていた隣の女性が「きゃっ」とハルさんにぶつかって来た。
ハルさんの視力2.0が見たのは、座っている女性のバッグの上に「入れ歯」がのっかっている図。

座っている女性は、気がつかないようだが、立っていた若い女性からはよく見えたのだろう。
思わず逃げようと身体が反応したもようである。
黒々髪の男性は、素早く入れ歯をつかむやいなや、それはポケットの中へと消えた。

入れ歯が飛ぶとは知らなかった。

電車は混みすぎて男性は、直ぐには下車できない状況。
観念したのか、座禅中の修行僧よろしく目をつむりそのまま終点まで行く決断をしたもようである。
雑念を必死で払っている様子は修行僧というよりは、一日体験者の感じだ。

バスや電車内で「咳やくゃみをする時は、口を覆って…。」のポスターを目にしたことがあるが、
あれはカゼ菌を撒き散らさない配慮を促す以外にも、入れ歯を飛ばさない配慮の裏メッセージもあったとは…。

「くしゃみ」をする時は、マスクやハンカチを使用して口を覆うのを忘れるべからず、と強く思ったハルさんだった。


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