|
||||||||||||||||||||||||
前回は大学時代前半「西巣鴨編」を掲載しましたが、予想外の反響の大きさに掲載間隔を短くすべく、前号で「次回以降」と予告した後半「吉祥寺編」は次号に回し、今回は「青春プレーバック編」をお送りします。ふるさと津軽からは雪の便りも届く中、花の都の熊は本来の生態とは逆行し、涼しさとともにいよいよ活動が活発になってきました。でも、性格はとてもおとなしく、無口な熊なんですよ(おしゃべりな熊なんていないか…)。 来た〜ッ 「オーオー、メイジ〜」 わが母校明治大学は、東京六大学野球秋のリーグ戦で4季ぶりのVチャンス。第6週を終えた時点で勝ち点4のトップに立っていました。残すは第7週の東大戦のみです。ここで先に2勝すれば全校から勝ち点を挙げる完全優勝です。今年の春季リーグでは優勝候補筆頭に挙げられながら苦渋をなめているだけに、大学創立130周年に花を添えるためにも負けるわけにはいかないのです。
しかし今季の東大は、これまで1勝もしていないとはいえ、早大、法大とも1点差ゲームを演じるなど、例年にない(失礼!)好チームで決して侮れません。それでも今季の明大の相手ではないなと優勝を確信、母校愛がめらめらと高まるのを抑えきれず、「こいだば応援さ行ぐしかねべな」と32年ぶりの六大学野球観戦を決め込みました。 ここでプレーバック そういえば明大在学中、最初の2年間は法大に怪物江川投手がいて、なかなか優勝に手が届きませんでした。江川の球はとにかく速く、打者の手元でホップするような剛球でした。そして、憎らしいのがピッチャーゴロを捕ると、打者に「せいぜい全力疾走してみれば」的にファーストへ山なりの送球をすることでした。 明大にすれば「にっくき江川」でしたが、投手としての能力はやはり群を抜くものがあったと素直に認めるしかないのです。わが巨人軍が、お世辞にも褒められた手段ではない裏の手≠使ってまで欲しがったのも無理はありません。 鹿取さんありがとう(涙) しかし、江川が卒業してからは明大活躍の時代です。3年の春季リーグだったでしょうか。明大は鹿取投手(後に巨人ドラフト1位、巨人、西武で活躍)、高橋投手(後に中日ドラフト1位)という二枚看板を擁し、快進撃を続けていました。そして最後のカベは江川が抜けたとはいえ依然、強力なライバルの法大。明大は初戦を高橋で落とし、2戦目は鹿取が先発して引き分けという崖っぷちでした。しかし、続く3、4戦を鹿取で勝って大逆転で優勝を決めたのです。「鹿取、炎の3連投」に、ただでさえ涙もろい私が泣かないわけがありません。 結局、この年は全日本大学選手権も制し、日本一に輝いたいいチームでした。その中には、わが鏡ケ丘の1年先輩で中村さんという捕手がいて、先発マスクをかぶるなどほぼレギュラーを獲得していたんですが、対法大の初戦か2戦目にスクイズの際、タッチを急ぐあまり送球を後逸し、当時の監督島岡御大≠フ怒りをかって(と私は思っています)、以降はあまり出番がなくなったと記憶しています。 記憶力には定評が… それにしても、30年以上前のプレーをいまだに鮮明に覚えている(そればかりではありません。大学選手権の決勝は相手が専大で、当日神宮でばったり鏡ケ丘の同級生(現在は青銀勤務)と会い、試合後はノーサイドということで、明大−専大の連合軍で中野のミスサントリーで飲んで大騒ぎしたことも覚えています)とは何たる記憶力の良さでしょうか。 という話をすると「その記憶力を仕事に生かせればなぁ。この前、調べるようにって言いつけた資料いづ、出るのヤ」という田付社長の声や、「むがしのごとばしおべで、最近のごと忘いでるんだねな」とヤスめるけやぐの声、「お父さんだっきゃ、都合いいごとしかおべでねきゃ」というカガの声が聞こえてきそうです。 やっぱし、名校歌だじゃ! ごだぐを並べてばかりもいられないので、2011年10月に再び戻ります。22日の対東大第1戦は雨で順延、優勝を決めるはずだった23日が第1戦となりました。32年ぶり観戦の偉大な???先輩の応援に応えるように明大は初回、大量8得点。得点のたびに学生が高らかに歌う校歌「オーオー、メイジ〜! その名ぞ我ら〜が母校(繰り返し) 白雲なびく駿河台…」に「やっぱし、いい校歌だじゃ」と感激し、楽しかった(というか何の苦労、心配もなかった)時代が蘇り、またしても涙、涙。 結局、エース野村(広陵高校時代、甲子園の準優勝投手)が大学通算30勝(早大−日ハムの斎藤佑ちゃん以来、六大学野球史上7人目の30勝、300奪三振)をマークし圧勝、ついに優勝に王手を掛けたのです。即座に「こうなれば、あしたも来るしかねぇな」と決断しました。 翌24日の月曜日、決して仕事をさぼってではありませんよ!!! Dandy?日記の取材のため、再び神宮球場へ足を運びました。「本当に、どんだげオメ、野球好ぎだのよ」と自分でも思いますが、今回は断じて趣味ではなく、あくまでも取材ですから…(汗)。 めいじろう≠烽ィ出迎え
球場入りすると、前の試合で2位の法大が立大に負け、連敗で勝ち点を取れなかったため、試合前に明大の優勝が決まり、ちょっぴり拍子抜け。それでも、すっきり勝って完全優勝を−と願う、私同様にスーツ姿のOBも結構いました(前日の日曜日にはビール、もっきりを飲んで真っ赤な顔をしていたおっさんも、スーツ姿で連日の観戦をしていました)。 いよいよ歓喜の時 試合は序盤、東大に3点をリードされる重苦しい展開でしたが、明大側スタンドの誰一人として逆転を信じない者はいません。その思いが通じたかのよ
最後はエース野村が9回を締め、歓喜の瞬間がやってきました。3塁側明大スタンドからは明大カラーの紫紺の紙テープが舞い…… 昔は許された? ここで再び32年前にプレーバック。21歳で経験した六大学野球の優勝決定の瞬間はもっと華々しいものでした。各自、紙吹雪用にチラシなどを刻んだものを用意してポケットというポケットに詰め込み、最後のアウトを取った瞬間にまくのですが、中には強者もいました。花吹雪用には電話帳を使うため、神宮周辺の電話ボックスからは電話帳がなくなり、紙テープの代わりにトイレットペーパーを使うため、球場のトイレからはペーパーが消えるという事態になっていたようです。 30年以上前だから、まだ許された(本当は許されていない?)でしょうけど、今そんなことをしたら大変です。環境問題に造詣が深く、社会のマナーを順守することに厳格な明大生でなければなりません。 クライマックス
そして三たび、2011年10月に…。善波監督らが次々と胴上げされ、野村を中心にがっちりと抱き合う選手たち。その輪の中に自分もいるような錯覚にとらわれる。 「やっぱし、スポーツはいい。感動した!(小泉純一郎風)」。 そして流れる校歌。明大得点時のアップテンポにアレンジしたものとは違い、スローな本来のテンポの校歌にまたしても涙が止まらない(なにほど、よぐ泣ぐ人だ)。 そうなんです。本当に涙腺は緩いんです。特にスポーツの感動シーンには弱く、韓流ドラマでも、芦田愛菜ちゃんのドラマでもそうです。また結婚式も…です。 今、同棲? している娘には「結婚式でお父さんは泣ぐはんで」と宣言していますし、娘も「んだべな」と織り込み済みです。きっと息子の結婚式でも泣くと思いますが、こちらは「やめろじゃ、とっちゃ」と言われそうなので、宣言せずにおきます。 というわけで、ナゲッツ(チキンではありません。俳優松山ケンイチが某TV番組で幼い頃の自分はナゲッツ=泣き虫だったと言っていました)渡邊の青春は次回吉祥寺編に続きます。 |
||||||||||||||||||||||||
▼もくじ |