Dandy?渡邊のCity日記   うぬぼれてました 2011.6.15

 お待たせです


 新コーナーもvol.1を掲載してから早いもので1カ月と1週間が経ってしまったんですね。この間、酒席の付き合いの良さには定評? がある私は県人会の各会総会、高校の総会すべてに顔を出し、もちろん二次会にもかだって鉄肝臓ぶりをいかんなく発揮してきました。

 とはいっても、さすがに土日の連チャンは厳しい日もあり、昼行灯的に支社ではぐだらっと≠オている日も多く、端的に言えばサボっていたってことです。すいません。

 熱心な読者数人から「ダンディ日記(正確にはダンディの後に?が付きますよ)、次はいづ載るの?」との問い合わせもあり、尻をたたかれるように第2弾をお届けする次第。

 ゴルフ始めました

 某広告代理店の社長からゴルフの誘いがあり、最初は「もう25年もクラブ握っていないですから」と二の足を踏んでいたんですが、社長の「うちのコンペはD通さんとかとは違ってファミリー感覚で出られますから」と念を押され「へば、やってみるが」と意を決した。

 正直に言うと「東京ではゴルフも仕事」と諸先輩から言われ、女房の父親から譲り受けたクラブは持ってきていた。とはいえ、記者としてサツキャップだった26、7歳のころサツ官と4度ほどコースに出て以来遠ざかっていただけに、ぶっつけ本番で臨むわけにはいかない。

 しかし車レス生活では松戸駅から徒歩20分の打ちっ放し練習場になかなか足が向かず、結局、直前の平日に代休を取って1度だけ練習した。平日というのに練習場は多くの遊び人=i私もその一人?)でにぎわっていた。

 しかも指定された打席は1階のど真ん中で、プレッシャーも倍増。まずは一服しながら周りの人の腕がどれほどのものか観察した。が、お年寄りも女性もみんな上手いッ!(汗×2)。
 
 
 
結構やるじゃん、自分

 ここでも意を決して、まずはショートアイアンから打ってみることにした。最初、3スイングぐらいは空振りするだろうなと覚悟していたが、意外にも「カーン」という快音を発して球が前に飛ぶ(もちろん後ろには飛びませんが…)。「結構やるじゃん、自分」。
アメ横◯千円ながら、他の参加者を
「あっ」と驚かせる球筋と飛距離を
出す予定だったドライバー

 一通りアイアンを振った後は、かつて野球で鍛えたスイングで飛距離を含めて最も自信があったドライバーを握った。このクラブだけは今風の大きなヘッドのものをアメ横で◯千円で新調したものだ。

 「ギュイーン」。鋭い金属音を残し、きれいな球筋で飛んだ打球はキャリーで200ヤード先のネットを揺らす。推定飛距離270ヤード?の真っすぐな打球が7球、8球と続くと周囲が練習の手を止めて私のスイング、打球を注視している。

 「ドライバーずのは、こうやって打づんだね」。ちょっと前の不安はどこへやらで、根拠のない自信に満ちあふれた笑みを浮かべる自分。決して単細胞などとは言わないでください。すぐ、その気になるのが私の欠点でもありますが、かわいいところでもあるんです(って自分で言うか?普通)。


 
トラブル発生

 が、しかし…。やっぱりオチはあるんです。100球ぐらい打ったあたりで体に異変が…。ペンと茶碗とお酒のグラスぐらいしか持ったことがないシラウオのような指2カ所の皮がむけてきたんです。

 フロントで傷テープをもらい応急手当てはしたんですが、痛さに耐えきれず、以降は右に左に曲がる曲がる。ダフりにトップ、チョロの連続とボロボロ状態になり、完全に自信を喪失した状態でギブアップ。

 「皮がむける前は良かったんだから」と自分に言い聞かせるように練習場を後にしたが、これがコンペの結果を暗示していたとは…。


 
マヂはすごい

 当日は5時半発の電車に乗るため、4時20分に起きたが、私の嫌いな雨降りで朝一からテンションダウン。加えて、さすがにガラガラだろうと思っていた常磐線(千代田線直通)は北松戸で既に座れず、北千住では満員状態に。
 雨とダブルとあって、テンションはメルトダウン状態で「やはりマヂはすごい」と思いながら、一人「マジっすか」とオヤジギャグ。
 
 西武池袋線レッドアロー号に乗り換え、片道1時間20分の秩父へと向かった。途中、東北道の湯瀬温泉あたりを思わせる景色の中を走る特急列車に「よぐ、こったらだどご電車はけでるもんだ」と感心しながら、実家を思わせるすっかど田舎≠フ光景にどこか懐かしさを感じた。


 
いよいよデビュー戦
 
スタート前にパチリ。
中央の青シャツ(ナイキで決めました)
が渡辺です=石川遼に似ているのを分かり
やすくするため、参加者の半数余りをカット
し、アップしています

 本番の時が来た。スタートは1組でくじ引きの結果私がオナーに。代理店社長に「渡辺さん始球式ですよ」と言われて事の重大さに気付き「ドッヒャー」と一瞬おじょんだが、腹をくくるのが早いのも私の持ち味。「じゃあ、煙の出るボール打てるんですか?」。すっかり度胸が据わった私だが、社長の「そんなものありません」にズルっ。

 これで緊張感が解けたのか、長めの10番ミドルホール、得意のドライバーでの注目の第1打は快音を残しフェアウェーセンターへ。同組の同業者から「渡辺さん、25年ぶりなんて嘘でしょう」とおだてられ、「いやー、まぐれですよ。まぐれ」と心にもない言葉を発しながら、またしてもピノキオの鼻は伸びる伸びる。

 
 
はい、そこまーでーよ

 が、世の中、盛者必衰の理あり。良かったのはそこまでで、以降は右に左に連続OB、谷にも打ち込み、さらにバンカー to バンカーと散々。実力をいかんなく発揮し「やっぱ、下手じゃん、自分」…。うぬぼれほど怖いものはないと、いまさらながら思い知らされた。

 結果は名誉にかけて詳述しませんが、36ホールをラウンドしてこのスコアだったら、プロテスト受かるかも−って感じでした。順位もいわゆるアルファベット3文字で表すヤツです。

 コンペによっては、これも賞品ものですが、今回は会費の一部を東日本大震災の義援金に充てるという趣旨でもあり、ただのアルファベット3文字でした。まぁ、こんなもんでしょう。

 それでも久々に本格的な運動ができたし、70日間も車を運転していなかったので、山のきれいな空気の中をカートで風を切って走るのは気持ち良かった。当然、表彰式でのビールもおいしかったし、これでいいんでねが……。




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